貝塚クラブ 鬼マネの日記

貝塚クラブは千葉市若葉区のママさんバレーのチームです。 鬼マネは貝塚クラブに入部してもう25年くらい経ちまして、いつの間にかチーム最古参になっておりました。 ブログにはバレー以外に、鬼マネの日々のことや、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。

家庭婦人連盟所属。

千葉市(1ブロック)のチームです。

ブログにはバレー以外に、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。


鬼父の介護日記 いつでもどこでも暢郎は”ピース”なのだっ!!

鬼父が亡くなりました。
数えたらもう10日も経ってました。
ものすごい速さで過ぎた10日間でした。

8月15日。
久しぶりに送り盆におじちゃん達やいとこ達で集まって、お墓参りして生実池の花火見ようということになっていて、間に合わせるように12日に実家の片付けを終えて、もろもろ準備万端、あとは実家に行くだけってところで、電話が鳴りました。
スマホの表示は鬼父の病院からでした。

「お父さんの呼吸が止まりました。」

今日かい!とも思ったし、今日で良かった、とも思ったし。
鬼父には12日に亜門と一緒にお見舞いして会ってましたし、最近の様子を見て、秒読みに入ってるのはわかってたので、激しく動揺することはなかったですけど、実際に「ご臨終です。」と言われると、さすがに泣くのは止められなかったです。

看護師さんに言われて、葬儀屋さんに連絡して待ってる間に、おじちゃん達はみんな集まってくれて。
病院から葬儀屋さんの車に乗せるときに、おじちゃん達が一斉に手を合わせたの見て、それはなんか驚くというか、肝座ってんなーとも思ったし、まだ仏さんにするのは早いだろ!とも思ったし。
まあ、それ見てまた泣きました。「なんなのこの人たちー!」って。(笑)

この暑さなので、1日が限界だろうというのはこの仕事なのでわかりましたが、一旦家に戻してもらいました。
施設入所してから帰ってなかったし、病院からすぐ冷蔵庫入れられちゃうのはさすがに可哀想だと思ったので。
このために片付けたんじゃないけどなーとは思いましたけど、仏間は何もなくなってたので、鬼父が寝られるスペースは充分あったので。
久しぶりに仏壇を盆飾りして提灯なんかもわんさか出して並べてたので、まるで鬼父のために用意してあったみたいになってました。
死ぬ日まで誰にも迷惑かけない鬼父でした。

片付けしてる間に、わんさか出てきたアルバムやバラバラの写真の中から、鬼父とみっちーと亜門が写ってる写真だけまとめておいてありました。
実際は私の手元にはほとんどない鬼じじと鬼ばばの写真を探して、カメラのキタムラでデジタル化してもらってたのです。
お盆までに写真プリントしようと思って。
それも12日に済ませてあったのですが、急遽鬼父の遺影用の写真を探すことになってしまいました。
とはいえ、少しづつやっておこうと思って、10年前分くらいからパソコンに保存してある写真達の中から、鬼父のベストショットを集める作業はし始めておりました。
こういうのも、覚悟する時間がなかったら、「まだこんなことしないでいい。」と、避けてたかもしれなかったです。

実は遺影にする写真は決まっておりました。
亜門の幼稚園の運動会の時に、鬼マネと2ショットで撮ってもらった写真です。
当時貝塚クラブにいた弥生ちゃんちのへーと亜門は同じ幼稚園でしたので、幼稚園の行事で鬼父が来てるのを見つけると、やたら鬼マネと2ショットで写真を撮ることを勧めて、まんまと撮られてた中の1枚でした。
ハイテンションで、「パパさん、チーズ♪もっと笑って、笑って~。」とやるので、鬼父は見たこともない笑顔で撮られてて、何年も経った後に見ても、「こりゃ弥生に撮られたヤツだな。」とわかるくらい普段より笑ってる写真になっておりました。
鬼マネの写りはともかく、鬼父が満面の笑みで撮れてるのが気に入って、部屋に飾ってあったのを遺影にすることは少し前に決めてありました。

亡くなって1日は家にいましたが、翌日葬儀場に運んでもらったので、鬼マネは普段通り過ごし、水曜日の貝塚の練習にも行ったし、仕事も休まずに済みましたけど、まあ、そうすることでお通夜~葬儀の現実逃避してたのかなあと思います。
20日のお通夜の日も、午前中だけと言って仕事に行って、紛らわせてた気はしました。
でもさすがに葬儀場行って、入り口や会場の鬼父の笑顔の写真がバーンとあると、うわー・・・。でした。

「こんな写真にしなきゃ良かった。」

最高に笑ってる写真にしたことを後悔しました。

喪主は悲しんでる暇がないと言いますが、ほんとです。
泣かないぞ!なんて気を張る必要もないくらい、ずーっと忙しかったし、ぼーっと考える時間もなかったです。

口々に言われたのが「後でガクッとくるから気を付けてね。」でしたが、そのガクッがどの程度なのか、いつ頃なのかが知りたいです。
みっちーはお通夜の前々日くらいにドバーッと泣ける現象があったと言います。
亜門はお通夜の最中に、鬼マネの隣でドバーッといきなり泣き出しやがって、鬼マネにひっぱたかれました。(全然平気みたいなことを終始言ってたので、あの泣き方にはやられそうになって、思わずひっぱたいてしまいました。)
亜門はお通夜の日の夜だったか、リビングで寝てたら、窓ガラスをコンコンと叩く音して飛び起きたそうです。
鬼父がうちに来る時、そうやって窓ガラストントンとやって知らせたりしたので、「やっぱ亜門のとこには来たねー!」と冷やかしました。
いきなり涙が止まらなくなったりするのは、近くに来てるからだそうです。
鬼マネのところにはまだ来てないです。

葬儀が終わって、火葬場行って、鬼父の棺がすーっと中に入れられるのを見てたら、なんかもう現実離れしてしまって、出てきた骨見たら更に「へー。」って感じになってしまいました。
今もまだその感じは続いてて、経験談聞かせてもらった中の、父の日や誕生日に「ああ、もう居ないんだなあ。」ってなるのをいちいち感じるしかないかなあと思ってます。

葬儀の翌日仕事から戻ったら、経験ないくらいの寒気に襲われて、「うわー、やっちまったなー。」と思ったらやっぱり発熱しました。
みっちーからは「のぶろーが休めって言ってるんだよ!」と言われましたが、そうかもしれないし、違うかもしれないし。
子供の頃、虚弱体質だったので、やたらと発熱しては鬼父に病院連れて行ってもらいましたし、おかげで大人になってからも体調崩すと「だから言ってるだろ!」と、その時だけは半分怒りながら世話焼いてくれました。
いつまでも身体が弱い子じゃないんだけどなあと思いますけど、心配してくれるならまあいっかと。

うちは泣いてても、笑ってても、いつでもどこでも、ピースなのだ!でいこうと思います。
ってことで、今回はネイルもこんな感じにしてみました。