貝塚クラブ 鬼マネの日記

貝塚クラブは千葉市若葉区のママさんバレーのチームです。 鬼マネは貝塚クラブに入部してもう25年くらい経ちまして、いつの間にかチーム最古参になっておりました。 ブログにはバレー以外に、鬼マネの日々のことや、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。

家庭婦人連盟所属。

千葉市(1ブロック)のチームです。

ブログにはバレー以外に、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。


思ふこと 2024年の鬼マネ

暢郎が逝って半年経ちました。
あ、日付見てびっくりだ、ぴったり半年です、今日。
あれから、いきなり泣くこともないし、暢郎が夢に出てくることもなく。(ちなみにみっちーと亜門は夢で会ったそうです。まったく失礼な父親だ。娘のとこには来やしない。)

思うに、暢郎さんは私にでっかいやっかい事(他でもない、鬼母のことですけど)を残した手前、会わせる顔がないもんだから、暢気にふらふら避けまくってるんでしょう。
まあそれでも、直接的には何かあることもなく、いきなり目覚めて改心するようなこともなく鬼マネは鬼マネのまま、大した変化もなく生きております。
でもやっぱり静かに変化はあって、根本のとこで思考回路というか、考え方は実は大きく変わってるんだと思います。
鬼マネが遺品整理士、特殊清掃士になったのも、その後に暢郎が逝ったのも、実はちゃんと神様か誰かに仕組まれていたんじゃないのかと思うのでございます。

人が生きるということも、死ぬと言うことも、この仕事に就く前は、「わかってるよ~ん。」と思ってたけど、実際はほとんど考えたことなかったんだと思います。
「どうせいつかは死ぬんだ。」
とは思ってても、まだまだ先のことだと。
でもこの仕事に就いて、生きてることと死ぬことは隣合わせなんだってことがリアルにわかっちゃいました。
そして、死に方はほぼ選べないってことも。
暢郎がそうだったように、ついこの間まで元気で、まだ時間はあるから、と思ってても、その時、(元気じゃ無くなる時のことですけど)はいきなりきて、元気じゃなくなったらもういつか、例えば普通に一緒にご飯食べるとか、例えば一緒に温泉に行くとか、そういうのはできないんだってことを、日々目の当たりにしています。
だからね、生きてて、元気だったら、ちょっとくらい大変でも、できる内にやろうって、そう考えるようになってます、着々と。

で、自分がストレス感じる人と過ごすことも、以前は「みんな多かれ少なかれそうやってるんだ。大人なんだから。」って、結構限界まで我慢する人だったのですよ、おいら。
そういう人に対して、「ちゃんと付き合えばわかり合えるようになるんだ。」っても考えてたし。
でも、元気な内に、自分が大事に思う人、一緒に過ごしててノーストレスな人、もっとシンプルに笑顔で居られる人と過ごす時間に使いたいっす。
で、まだまだやりたいこといっぱいあるので、学べる人から学びたいです。
だとしたら、ストレス感じる人、簡単に言えば嫌いだったり苦手だったりする人に、費やしてる時間ねーなと思う。
前は、人を嫌うってことを良しとしてなかったんす、自分自身で。
「嫌われて結構!」って言い切れる人も結構居ると思うんだけど、鬼マネは人から嫌われることが自分の中で許されない項目だったんですね。
でもこれは鬼母のおかげと言えばそうなんだけど、自分ではどうにもならないことに直面して、「ああ、もう無理。」ってなって、今は「そんなに嫌うならどーぞ、私もあんたが嫌いです。」と思うようになっちゃいました。
で、ひとりそうなったら、もう1人も10人も同じだなと思うようになっちゃったんですね。開き直ったんだと思います。
もう今は、毎月施設から送られてくる会報みたいな冊子に、鬼母の写真が載ってるの見ただけで、めっちゃやな気分になるし、即ゴミ箱に捨てちゃったりします。
こういうこと、書くようになったのも、自分ではかなりな変化だと思ってて、つい最近までそれでも鬼母を嫌いだとは言わないでおりましたから。
鬼母を嫌いだと言うことが変化なんじゃなくて、嫌いな人が居てもいいんだって考えるようになったことが変化だなあと思うのです。
嫌われてる人にまで分かってもらおうとしても無駄だって。

鬼マネは友達はそんなに多くはないと思います。
鬼マネの友達の定義って、二人きりになった時に言葉を探さないで居られる人だったりします。
もっと具体的に言うと、車の助手席に乗せることに躊躇するかしないか、です。
逆に言えば、自分の感覚で距離縮められても、鬼マネは苦痛です。
昔テンチョーが「並木さんはさ、自分ちの塀も低くして、玄関も開けてあるのに、じゃあお邪魔します~ってズカズカ入って来る人嫌いだよね。タチが悪いんだよ、ウェルカムな雰囲気出してるのに、誰が入っていいって言った?ってやるんだから。」とゲラゲラ笑って言っておりました。
返す言葉がございませんでした。その通りだもんで。(笑)
思い返してみたら、今まで友達としてる人って、向こうから来たんじゃ無くて、鬼マネが行った人だけです。

今日、鬼マネの遺品整理士、特殊清掃士の師である韓さんと岡本さんと3人で写真を撮ってもらいました。
今日笑っていられるのは、このお二人との出会いがあったからだと鬼マネは思ってます。
仕事を通じての出会いではありましたが、鬼マネが笑うことを思い出させてくれたのは、このお二人のおかげです。
その全てのきっかけに、健ちゃんがいます。
精神的にボロボロ状態で、でも自分がボロボロになってることもわかってなかったので、健ちゃんが今の仕事に誘ってくれてなかったら、今頃どうなってただろ?と思うとぞーっとするし、まーじ、感謝なのです。
で、そのボロボロから「仕事って楽しくやるもんなんだ。」「楽しいと思えるから頑張れるんだ。」という、ある意味当たり前のことを思い出させてくれたのが、韓さんと岡本さんなのでございます。
厳しいし、怒られたりもしたけど、ちゃんと認めてもくれたし、おかげで自信になりました。
いやいや、ほんと楽しかったんだよなー、教わってる時。
ずーっと研修続けばいいのにーと思っちゃった。(爆)

この間、バレーのコーチやってた頃の教え子というか、友達に近い子たちから、練習やってるから見に来いと誘われまして、久しぶりに会いました。
コーチ辞めたから、仲良かった子たちともこれきりになるんだろうなーと思ってたから、誘ってくれたのはうれしかったです。
その中のひとりから、手紙もらいまして、そこには今の自分の夢や目標が書いてあって、なんかそういうの話してくれてることがうれしかったし、いつでも何やってても応援しかしねーよ、と思いました。
これから挫折したり、諦めたりすることあっても、それでも応援しかしないっす。
初めて試合に出たときのめちゃ不安そうな顔や、試合中にベンチの鬼マネ見て「いいの?これでいいの?」って目を思い出しちゃいました。
だから鬼マネはいつでも同じ。
「いいの、それでいっから。」って、うなづいてあげたいと思います。
この子たちも、鬼マネは友達認定してます、実は。(笑)

全力で変顔するのを今もやっちまうとこがね、あの頃と全然変わってないんす。

2024年も、全力でやろうと思います。ふんがー。
っていうか、全力がデフォルトなので、頑張らないってのが無理なんす、鬼マネは。