貝塚クラブ 鬼マネの日記

貝塚クラブは千葉市若葉区のママさんバレーのチームです。 鬼マネは貝塚クラブに入部してもう25年くらい経ちまして、いつの間にかチーム最古参になっておりました。 ブログにはバレー以外に、鬼マネの日々のことや、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。

家庭婦人連盟所属。

千葉市(1ブロック)のチームです。

ブログにはバレー以外に、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。


鬼父の介護日記 葬儀の防備録

鬼父は病院で最期を迎えましたので、そのパターンになりますが。
「ご臨終です。」
となってから、病院を出るまでって、ものすごくあっという間でございます。
鬼父も朝9時過ぎに「呼吸してません。」と病院から一報が入って駆けつけて、「お世話になりました。」と出たのがお昼頃でした。
この間に、「ご臨終です。」までの時間があって、親戚達が駆けつけたし、遺体をきれいにしてもらう時間もあったしですが、その間に葬儀屋さんに連絡しております。
鬼父が逝ってしまって、まだボロボロ泣いてる時に、「この後どうしますか?」的な会話を病院としておりますし、調べて葬儀屋さんに電話して、病院に迎えに来る時間聞いたりしております。
鬼父と鬼母は、葬儀屋さんに積み立てしてたのを、実家を片付けてる時に発見しておりましたので、そこに電話したんですね。
(そういうのがなかったら、病院から紹介的な話しはされるみたいです。)
亡くなる前に、家族には、積み立てしてる旨話しておいた方がいいですよね。
鬼マネが見つけてなかったら、わからないままになってたでしょうから。

葬儀屋さんからは会員証的な証書みたいなのをもらってあったのですが、これは紛失してても名前と電話番号か住所を伝えればすぐわかるとのことでした。
病院から遺体を搬出するのは、葬儀屋さんの車でございます。
そのまま斎場へ直行しても良かったのですが、この時点では葬儀がいつになるかわからないし、鬼マネはいったんは自宅に戻してあげたかったので、二度手間にはなるでしょうけど、自宅への搬送でお願いしました。

自宅に着くと、遺体をどこに寝かせるか?ってことになりますが、幸いと言うべきか、3日前に家の片付けが完了してて、仏壇のある和室には何もなかったので、そこにしてもらいました。
8月15日でお盆でしたので、仏壇は鬼父のために用意したみたいに盆飾りしてあって、なんとも複雑な心境にはなりましたけど。(笑)
で、この時あちゃーだったのが、片付けた時に、布団も全部処分しちゃってたので、鬼父を寝かせる布団がなかったのでございます。
これは葬儀屋さんが掛け布団をうまいことたたんだりして、布団のようにセットしてくれました。
で、もうみるみる間にりんだの線香だのをセットして、鬼父周りのセッティング完了でございました。

で、休む暇無く鬼マネは葬儀の打合せでございます。
葬儀屋さんは搬送するときは、搬送する人、葬儀の段取りを決める人、が来てたんですね。
打合せ始めたら、搬送する人は帰って行きましたので。(笑)

この打合せが始まった時の段取り決める人の顔マネを、亜門が後で繰り返すので、笑っちゃいましたが、さっきまで一緒に沈んだ面持ちで居てくれてたのですが、「では。」と、打合せ始める瞬間に悪い人の顔になってました。(爆)

このご時世ですので、基本的には家族葬で、ってことにはなってたんですよ。
とはいえ、になりますね。
どんな形のお葬式にするかなんて、事前に考えておかないですからね、普通は。
お葬式に関しては、一時が万事、「どうする?」のオンパレードになります。
祭壇は?棺は?あれは?これは?です、とにかく。
んで、値切れない。(笑)
松・竹・梅の価格帯がそれぞれに用意してあって、竹を選ぶようになってます。
「これはちょっとさみしいですかね、ここまではしなくてもいいでしょう。」
な、感じで進み、結局竹でまとまるようになってるんですね。さすがです。(笑)
あとは遺体の処理もコースがあるんだけど、値切れないですよねえ。
しないってことなら、病院から着て来た浴衣のままだっていうんですよー。
これはさすがに松でお願いしましたよ。
白装束も必要だけど、鬼父亡くなった時、酸素マスク付けてた口呼吸だったので、口開けたままだったんでねー。

鬼父の場合、会員ってことになってるみたいですが、それも通常価格、会員割引って感じで、0円になってるのは控え室使用料だけ。
後から細かく明細見たら「これいらねーじゃん」ってのも多々あるんですよ。
骨壺ネームプレートとか。(4,000円になってるし!これ、骨壺に貼り付ける名札なんですけど、鬼父の骨壺やたら派手でご先祖様達の白い骨壺とひと目で違うってわかるから、必要なかったじゃんってなった。)
なので、積み立てしてても、その金額でおさめられるわけではなくて、はなからそういう設定です。
通夜振る舞いとかの料理の代金や返礼品はもちろん別途ですし。
なので、参列者が5~60人程度の葬儀でしたけど、会員割引と積み立てしてた金額引いても70万近く支払いありました。(明細見たら通常価格だと173万円でした。)

これ以外に、お寺にも頼むじゃないですか。
鬼マネ家は浜野の本行寺が菩提寺なのですが、この辺の段取りは、葬儀屋さんが全部やってくれたし、火葬場との日程調整とかも全部さっさと決めてくれるので、これはさすが慣れてるなーって感じ。
(死亡届とかも全部やってくれます。)

鬼父が亡くなったのは15日で、お通夜が20日になったので、16日に自宅から斎場へ搬出してもらったんですね。
5日間分の保管料もかかりました。
今年の夏は暑かったので、自宅に置いておけるのは1日が限界でしょうってことで。
時期によっては火葬場が混んでて、葬儀までに日数かかることあると聞きました。
そうなるとこの保管料もかかってくるってことですよねー。

で、お坊さんへのお布施はもちろんですけど別になるので、これはもうわからないからネットで調べたりして決めました。
(おばあちゃんの時いくらだったか聞いても、喪主が鬼父だったので誰もわからずでした。お寺さん関係は、おじいちゃんの頃から鬼父がぜーんぶやってたので、これは聞いとけば良かったーになりましたけどね。)

ネットで調べてて知らなかったことは他にもいろいろあって、進行やってくれるスタッフや通夜振る舞いのお世話してくれてる斎場のスタッフへの心付けとか、葬儀の日も火葬場への霊柩車の運転手さんや、火葬場で待ってる間に食事する時のスタッフへも渡さないとってあって、それが一体何人居るのかわからないから、ポチ袋用意しておいて束にして持ってました。(笑)
ただ霊柩車の運転手さんには渡せなかったんですよねー。
出棺ですぐに鬼マネだけが霊柩車乗ったので、バックとかを預けたままにしちゃってて、火葬場着いたら「喪主様はこちらですー。」と真っ先に誘導されちゃったので、時間がなくて。
いい人だったから渡せなかったのは心残りです。(笑)

今回受付は彼岸花とおやつにお願いしました。
彼岸花はそろばんの先生ですので、お香典の集計は暗算でやったよ!とドヤ顔されました。
貝塚クラブ長老会改めWBCの3人は、介護職ですので、鬼父の認知症が始まった時からもーとにかくいろいろ相談にのってもらったし、アドバイスも的確で、ほんと心強かったです。
最初に青葉病院の認知症外来を教えてくれたのはおやつだし、ケアマネさんを紹介してもらったのも長老会だし、鬼母の認知症を指摘してくれたのも長老会でございました。
鬼マネと一緒に鬼父の様子を見守ってくれたようなものですので、感謝、感謝でございます。

鬼父の介護日記は最終回だって前回書いたと思いますけど、その後のあれこれも書いていこうと思ったので、続編でございました。
ちなみに鬼父は無事四十九日を終えて、鬼ばばや鬼じじと一緒にお墓の中へ投入し、仏様になりました。
葬儀の前に、住職に生前の鬼父についてを書いて渡してあったのですが、(これはお寺の方から言われて書いたんですよ、鬼マネから自主的に渡したわけではなく。)それを踏まえてってこととお話し頂きましたが、戒名は、『本福院法慈日暢信士』(ほんぷくいんほうじにっちょうしんし)と付けて頂きました。
まー、なんて優しそうなお名前なんでしょ。(笑)
んで、またもや暢気(のんき)の暢が入っちゃったので、あの世でも「まーなるようにしかなんねーべー。」と、のんきにしてると思われ。
のんきにしてないで、鬼マネの守護霊になってくれないと困るんですけどっ!