貝塚クラブ 鬼マネの日記

貝塚クラブは千葉市若葉区のママさんバレーのチームです。 鬼マネは貝塚クラブに入部してもう25年くらい経ちまして、いつの間にかチーム最古参になっておりました。 ブログにはバレー以外に、鬼マネの日々のことや、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。

家庭婦人連盟所属。

千葉市(1ブロック)のチームです。

ブログにはバレー以外に、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。


鬼父の介護日記 泣いた鬼マネ

鬼父が2度目の誤嚥性肺炎で入院して約1ヶ月経とうとしております。
札幌への出張中読んだ本で、決めておかなければいけない気持ちは整理しつつ、それでもまだどこかで良くなるんじゃないか?と期待していたのかもしれません。

札幌から戻って、1週間後の27日、鬼父の病院からその後の病状説明をするので、来て下さいと連絡がありました。
実は鬼マネ、毎日病院に電話して、鬼父の様子を聞いていて、札幌に行く前の日にも担当医に病状の説明を受けておりました。
その時に、病院から毎日電話するのはやめてくれ、病状の説明もこちらから連絡するので、そちらから急に来るのはやめてくれと注意をされてしまいました。(苦笑)
ってか、前回入院した千葉メディカルセンターは、毎日電話してもOKだったし、担当医からも結構まめに電話もらえてたので、今回の病院も当然OKなんだと思ってたんですね。
注意された時も、何言われてるのか理解できなかったんだけど、途中で、「あ、これ怒られてるんだ。」とわかったって感じで、それぞれ病院ごとに対応が違うんだということを勉強いたしました。はい。
ってことで、時を戻そう。
その1週間後の病状説明だったのですが、それもまた、鬼マネは最初何言われてるのか理解できず。
ああ、そうなんだ、とわかった時は、心の中で、「大丈夫、もう気持ちは決めてきてるし、ちゃんと考えてあったから。」と思ってたはずなのに、いざ先生から「延命治療はどうするか、考えてありますか?」と聞かれて、「ほいきた。」と思っておきながら、声を発した瞬間に自分でもびっくりするくらい、またもや大揺れしてしまったのでした。
「ほんとにいいのか?」
の声がどこからともなく聞こえてくるような、そんな感じです。
で、改めて気持ちを伝えようとしたら、今度はいきなり涙が出てきて、「うわ、なんだよ、ぢぶん、恥ずかしいなあ。」と思う冷静な自分もいれば、涙声になってることに思いっきり慌ててうろたえてる冷静じゃ無い自分もいて、半分パニクってしまっておりました。
それでも、ここでちゃんと伝えておかないと、もしもの時に鬼父を苦しめてしまうんだと思い、「延命治療はしません。」とそれはもう必死に伝えました。
先生は「迷っているのだったら今すぐ決めなくていいので・・・。」と言ったのですが、相変わらずうわずった涙声で「いえ、それはもう決めてて、あの、覚悟はできてますから。」と、全く覚悟できてるようには見えない状態で伝えたのでございます。

先生は「今はまだこういうことを話さなくても大丈夫な状態なんですよ。でも高齢だし、何が起きるか普通に暮らしててもわからないですから、いざという時のためにね。」と言い、だからってこれで治療しないわけではないからと付け加えておりました。
先生が離席した後、ずーずー鼻すすって泣いてる鬼マネを気の毒に思ったであろうナースがティッシュを持ってきてくれて、もうひとりのナースが「お父様にお会いになりますか?ガラス越しになりますけど。」と。

久しぶりに見た鬼父は、先生の言葉通りでした。
先生は、「肺炎の方は入院したときよりだいぶ落ち着いてきています。ただ、水も飲めていない状態です。生きる気力がなくなってしまっているというか。」と言いました。
目の前の鬼父は、本当にその状態でした。
言葉を失いました。
かける言葉が出てきませんでした。
少しだけドアを開けてくれて、「並木さん、娘さんですよ。」と、ナースが鬼父に声かけてくれておりました。
やっとこさ言えたのは、「看護婦さん達に迷惑かけたらダメだよ。ご飯ちゃんと食べてね。」
水も飲めていない鬼父に向かって、我ながら何言ってんだ?と思いましたし、鬼父も聞こえてるのかどうかも不明でした。
で、泣くのは止まらなかったけど、同時に諦めがついたというか、本当に覚悟しました。
頭で覚悟したと言ってたときとは違って、百聞は一見にしかずってこのことだなと思ったのでございます。

今は面会できない状況なので、鬼父のその姿を見たのは鬼マネだけでございます。
鬼マネだけがひとり、覚悟を決められた状態なのだと思います。
人はこんな風に少しづつ命の灯は消えていくんだなと思いました。
みっちーに病院の駐車場から電話して、やっとこさ言えたのは「きついなー。」でした。
「覚悟なんて全然できてなかったよ、へろへろだわ。」
みっちーはゲラゲラ笑ってくれて、それで鬼マネも泣き笑いになって、やっと落ち着きました。
「じじ、頑張ったんだからもういいんじゃね?」
ほんとにそうだなあと思いました。
男手ひとつとはおばあちゃんが居たので言えないにしても、50年以上前の世の中で、父子家庭で鬼マネを育てたのは、簡単じゃなかったと思うのです。
再婚して平和にじじいになっていくかと思いきや、おばあちゃんの介護や、鬼マネの離婚や、もうとにかく気の休まる時がなかっただろうに、鬼父はいつもフラットだったよなあと。

鬼父がこうなって鬼マネは初めて知ったのですが、鬼マネが思ってる以上に鬼マネと鬼父を知る人たちは、鬼マネが大丈夫か?と心配してくれているのでございます。
自他共に認めるファザコンではありますが、周りがそこまで鬼マネが鬼父の存在を大きく考えていると思ってるとは知らず。
病院で自分でも予測できないくらいうろたえたのを考えると、その時が来た時に、鬼マネは大ダメージをくらうかもしれず、でもこうして急に逝ってしまうことなく、時間をくれているのは鬼父ではなく、亡きおじいちゃんやおばあちゃんの仕業なのかもしれないなあと思ったりしております。
(と思って、おじいちゃんとおばあちゃんの写真に、滅多にやらなかったくせに、花そなえて線香あげたりしてるヤツでございます。)

並行して鬼母に閉口している日々を送っております。
こちらも多分鬼マネが考えてる以上に、結構大変なことになってるんだと思いますが、鬼父の方が心配なので、今はあんまり感じないで済んでおります。
これは鬼父のおかげだよなーと感謝したりして。

でもまあ思うのは、鬼マネは一人っ子なので、こういうのを分かち合える兄弟がいないって悲しくね?と思いつつ、分かち合ってくれないかもしれない兄弟にムカムカするより、ひとりで決めてひとりでできるからいいのかも?と思ったりしてます。
ちなみに先日並木家いとこ、はとこ会でみんなが集まったのですが、その時にワイワイしながら鬼父のことを相談できたりしてるし、一人っ子だからといって、誰も助けてくれないわけでは全然なくて、ほーんと並木家の親戚達はみんな仲いいので助かっておりまする。
鬼父は並木家の長男なのですが、兄弟の中で一番いけてない生き方してきた割には、兄弟達の信頼が大きいので、それは並木家七不思議のひとつでございます。
そこは鬼マネ達にはわからない過去のいろいろが兄弟間であったんでしょうなー。

鬼父のことと鬼母のことを一緒に書くのは嫌だったので、先に鬼父のことを書いてみました。