貝塚クラブ 鬼マネの日記

貝塚クラブは千葉市若葉区のママさんバレーのチームです。 鬼マネは貝塚クラブに入部してもう25年くらい経ちまして、いつの間にかチーム最古参になっておりました。 ブログにはバレー以外に、鬼マネの日々のことや、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。

家庭婦人連盟所属。

千葉市(1ブロック)のチームです。

ブログにはバレー以外に、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。


思ふこと 死に方は生き方だということ

鬼父がまた誤嚥性肺炎で救急搬送されて、入院していることはすでにお伝えしました。
で、覚悟というか、心づもりをしておかないといけないんだろうなあと、考えているということも、すでに書きました。
彼岸花に看取り方というか、リアルな介護の現場の話しを聞いて、どうあるべきか、どうすればいいのかも、今まで以上に具体的に考えてみておりました。
それをSNSを通じて書いたら、1冊の本を希和さんから教えてもらって、すぐにAmazonでポチり、読んでみました。

 

久坂部羊の本は読んだことありましたが、お医者さんだったとは知らず。
で、希和さんも現役ナースでございますので、読み始めて「なるほど・・・。」と思いました。

鬼マネがまさに今、知らないでいたせいで、迷っていたことを全て消し飛ばしてくれた内容でした。
人が死ぬ時、実際にはどういう状況なのか。
医師だから真実だし、きれいごとは無し。
人間は亡くなるとき、最初はこうなって、次にこうなってと、書いてあります。
で、挿管や心臓マッサージなども、実は本人にとってどれだけ苦痛かも書いてあります。
医療が進化することで、人間は自然に死んでいくことができなくなったと書いてあります。

刺さったのは、死ぬ間際に何かを伝えようとしても、実際には聞くことも考えることもできるような状態ではなくて、だったら生きている間に伝えておけばいいということ。
その通りだと思いました。
鬼マネは、最期に、「頑張って。」とは言えないようになりました。
みんな生きてきた時間は、すでに充分頑張ってきたんだと思うからです。

さっき札幌から帰ってきました。>鬼マネ。
所属している遺品整理士認定協会の交流会があって、札幌に行くことは鬼父が入院するずっと前から予定されておりました。
一度は行かないことを考えたのですが、鬼父は鬼マネが困ることはしないんじゃないか?と、確信みたいなものがあってたので、行くことにしました。
本は札幌への道中で読みました。
読んで、鬼父は今回も回復して、施設に戻れると思いました。
なぜなら、鬼父は病院で家族に会えないままひとりで逝く生き方はしてないから。
で、本読んで、死に目に会えないということは、鬼マネにとって、さほど大事ではないんだなと考えられるようになりました。
札幌だけでなく、富良野や小樽にも行きました。
鬼父と一緒に来てみたかったなあと思ったし、忙しさを言い訳にしないで、もっと会いに行けば良かったとは思います。

鬼父は今年86歳になります。
急変して死にそうになって、処置したところで、歩けるようになったり、ピンピン元気になることにはなるはずがない。
「その時」は、もう長くても数年の内にやってくいるわけで、1分1秒でも長く、と願うのは鬼マネの気持ちでしかないんだというのを、本を読んで理解しました。しっかりと。

鬼マネはまだ鬼父に何も伝えてません。
言わなくてもわかってるだろうとも思うし、それは鬼父も鬼マネも、通じてるからというのもあるので、今日、明日、その時がきたとしても、悔いは残らないと思うのです。
そこはね、父子家庭だった時間と一卵性父娘だった時間が濃かったのもあって、なんですけど。
それだけの時間を過ごしてきたという気持ちが、なんだかねえ、あるのでございます。

漠然としてて、バラバラだった気持ちや考え方が、腹をくくった、みたいな感じでまとまった気持ちになりました。

追伸
希和どの、ほんとうにありがとう。
今の私の感謝の気持ちがどれほどかって、わかりかねるとは思うのだけど、昨日と今日がまるで違ってしまいました。(笑)
今日笑っていられるのは、希和どのがこの本を教えてくれたおかげです。