貝塚クラブ 鬼マネの日記

貝塚クラブは千葉市若葉区のママさんバレーのチームです。 鬼マネは貝塚クラブに入部してもう25年くらい経ちまして、いつの間にかチーム最古参になっておりました。 ブログにはバレー以外に、鬼マネの日々のことや、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。

家庭婦人連盟所属。

千葉市(1ブロック)のチームです。

ブログにはバレー以外に、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。


離婚日記 鬼マネシングルマザーへの日々

離婚騒動が始まったのと同時にリアルタイムで書いてたWeb日記を見つけました。2004年9月24日、鬼マネは調停離婚しました。

鬼マネ家の離婚騒動が始まったのが、2003年12月31日の大晦日でしたから、約9ヶ月かかっての離婚成立とかなりヘビーではあるので迷いましたが、その時の自分の気持ちや変化が良くわかったので差し替えることにしました。

(日記では『彼』ではなく普段から人に話すときに使っていた呼び方の『殿』のままにしてあります。)

2004年9月24日、鬼マネは調停離婚しました。
鬼マネ家の離婚騒動が始まったのが、2003年12月31日の大晦日でしたから、約9ヶ月かかっての離婚成立ということになります。
「いつか全てを書こう。」
と思ったのは、騒動の初期の頃から、ネットで色々調べたり、離婚関係のサイトで悩みを相談したり、法律的に自分が何をすべきかを教わったり、励まされたり励ましたりしてきたことで、とても助かったからで、鬼マネ家の離婚騒動も1つのケースとして残すことで、読んだ人の中に鬼マネと同じように、『もうひとつの選択肢』を見つけられるきっかけにしてもらえれば、と考えたからです。
離婚には結婚と同じように、夫婦の数と同じだけのケースがあると思います。
夫婦の年齢や生活状況、結婚年数、子供の数や、それぞれの両親や兄弟との関わり方、友人の存在、そのひとつひとつが違えば、離婚の形も違ってきます。
また夫と妻、それぞれの性格も関係してきます。
そして離婚の理由も。
鬼マネは、自分が渦中にあるときに、できるだけ近い夫婦や状況を見つけては、当てはめて考えてみたりしました。
チャットや掲示板でお話しした人たちに、「うちもそうだった。同じこと言ってた。」みたいなことを言われて、自分たちが特殊ではないんだということもわかったりしました。

また、鬼マネは両親の援助や友達の協力もあって、弁護士を頼んだり、探偵に頼んだりしたことで、『贅沢な離婚』だと言われたりもしました。
でも、今回こうなるまでの13年間の夫婦生活で、法律上の権利を知らなかったために我慢してきたことも多かったし、今回も自己防衛手段のために弁護士さんに会っていなければ、早い段階で仕方なく協議離婚していたと思います。
「弁護士や探偵は高いから・・・」とか「金儲けしか考えない悪徳弁護士や、ロクに調査もしないで金だけぼったくる探偵に騙されて泣き寝入りする人がいっぱいいる。」など、悪いウワサが蔓延しすぎて、後で後悔したと言う人も多いと聞きました。
幸いと言っていいものかわかりませんが、鬼マネはいい弁護士さんに担当してもらったし、しっかりとした探偵さんを紹介してもらって、調査も成功しました。
ネットでは失敗例の方が目に付いたので、そうでもないという報告があってもいいんじゃないか?と思いました。

鬼マネも失敗だったと思っていることはたくさんあって、でももう終ったし、新たに何かをする気力もないです。
離婚はほんとに大変です。
自分たちだけでなく、周りの人も巻き込みます。
そして何より子供たちを傷つけます。
しないで済むならその方法を見つけたほうがいいと思います。
鬼マネもその方法をなんとか見つけようと必死になりました。
最初から離婚するつもりではなかったですから。
途中、ほんとに落ち込んだり悩んだりしたし、彼を信じては裏切られての繰り返しの末の結論でした。
だから「こんなに大変なら私はやめよう。」と思ってもらえることも、鬼マネは望んでたりします。
なので、鬼マネたち夫婦がどんな夫婦だったのかも、新婚当時からずっと書き続けてた日記から抜き出して書いてみました。

鬼マネは今も、彼だけが悪かったとは思ってません。
彼にも悪いところはあったけれど、そこに向かわせたのは鬼マネにも悪いところがあったからだと思ってます。
でもその過程の彼の心の中を鬼マネは知ることはできないし、今後何を聞いても、もう二度と彼を信じることができないと思います。
それでも鬼マネと彼は終ることはできません。
離婚して夫婦の形は終っても、子供が居る以上、私たちは形を変えて父親と母親としての新しい関係がスタートすることになります。
それで生まれてくる矛盾を、どうやって自分の中で整理してまとめていったらいいのか、それがこれからの鬼マネの最大のテーマだと思ってます。

鬼マネ夫婦の今まで

●1991年8月

鬼マネと彼は仕事を通じて知り合った。
付き合いだした時、彼は20歳、鬼マネは24歳。
鬼マネはフリーのヘア・メークとスタイリストとして、一番のってる時だった。
それまで鬼マネは師匠の事務所に間借りさせてもらっていたのだけど、彼と付き合いだしたのをきっかけに引越し。
都内で同棲を始めた。
ただし彼は薄給で鬼マネの方が収入があったので、生活費はもらってなかった。

約2年間の同棲生活後、妊娠発覚。
いわゆる『できちゃった結婚』状態で、結婚。
鬼マネは仕事をお休みすることにして、東京から引越し。
千葉で新婚生活がスタート。

●12月

みっちー誕生。

●1993年11月~

鬼マネ、頼まれた時だけやっていた仕事を本格的に再開。
母親と主婦とスタイリストの3足のわらじをはいた生活となる。
ただ彼は私が仕事をすることに反対だったようで、一切協力はなし。
鬼マネも、自分がやりたいと思って始めたことなので、何か頼んで「じゃあ仕事やめろ。」と言われるのが嫌で、彼に協力は求めなかった。

●4月頃~6月頃

彼が仕事を辞めたいと言い出し、ケンカが耐えなくなる。
車を勝手に購入したり、育児に非協力的などの理由で、鬼マネの方から提案し別居生活をする。

●8月

彼から別居解消の条件に、会社を辞めさせて欲しいと言われたので、承諾した。
(今思うに、この時鬼マネから言い出した離婚を、彼はこの後ずっとこだわっていたと思う。
鬼マネは、彼にもっと父親らしくなって欲しかったし、一家の大黒柱としての自覚を持って欲しかったために、最後通告の道具として『離婚』という言葉を道具のように使った。
このことは大いに反省したし、結果的には自分で自分の首を絞めたことになったと思っている。)
(この頃、彼が会社から持ち帰った荷物の中から、結婚式の数ヶ月前に海外で知り合ってひと晩過した女性からの手紙や、不倫関係にあった別の女性からの手紙などを見つけた。
問い詰めると平謝り。
この時簡単に許したことも結果的には自分で自分を苦しめることになったと思う。)

●9月~

彼が今の会社での仕事を始める。
最初はアルバイトとしてだった。
1ヶ月間の無職状態と数ヶ月のアルバイト状態で、家計はビンボーだったが、日記には「ビンボーが楽しい」と書いてある。
14年間で一番彼と会話をしてた期間だった気がする。
この後彼は社員として採用された。

●1995年3月~

鬼マネ、レギュラーの仕事を得たため、フリーになってますます本格的に仕事するようになる。
みっちーを保育園に入所させ、鬼父や鬼母のサポート体制を強化してもらって、土日以外はほとんど毎日仕事するようになった。

●1997年7月

現在の家を購入。
(彼は離婚調停の時に、家の購入は鬼マネが強く望んだからで、自分はその気はなかったと言っていた。
鬼マネは強く望んだつもりはなかったので、この辺からお互いに誤解が多かったのだと思う。)
彼は仕事を理由に外泊することが多くなる。
逆に鬼マネは、スタイリストの仕事を辞める決心をする。
彼がずっと鬼マネが専業主婦になることを望んでいたので、家を建てるという一大決心をしてくれたということでのお返しのつもりだった。
でもこれも調停で彼は、仕事はして欲しかったと言ってた。ただスタイリストやヘア・メークの仕事への協力は不可能だったと言ってた。)

●1998年8月

小鬼誕生。
(この頃、相手の女性と知り合ったらしい。)

●1999年

彼が自分から相手の女性のことをばらした。
冗談で「女房と離婚して結婚する。」と言ったことがあって、それで詰め寄られて怖くなったから別れたと言っていた。
もしかしたら相手の女性が何かしてくるかもしれないなどとSOSめいたことを言われた。
この時も簡単に許してしまった。

●秋頃~

2週間に1回くらいの帰宅ペースに。
鬼マネが何か言うとけんかになることが多く、この頃から彼に何も文句を言わなくなるようになった。

●2000年

ふたりの共通の友人が遊びに来た時に、相手の女性について話す。
(どこの会社で、何歳で、など)
この頃、鬼マネに離婚という言葉を頻繁に言っていて、かと思うと毎日帰宅して家族と過すという不思議な態度を繰り返していた。

●2001年3月

相手の女性と撮ったらしいデジカメの中の画像を発見。
携帯の着歴も発見し、相手が別れたはずの女性だとわかる。
慣れとは恐ろしいもので、この頃には浮気にいちいち怒ったりしなくなっていた。

●2001年8月

貝塚クラブのBBQ大会の席で、鬼マネの態度が気に入らなかったと言う理由で、離婚したいと言われた。
これがきっかけとなって、この後ずっと鬼マネは彼に対して不信感を持つようになり、ますます彼に何も言わなくなる。
この頃からほとんどけんかもせず、ただしほとんど帰宅もしない勝手気ままな生活を許してしまっていた。
一番ひどい時で2ヶ月に1回の帰宅。
何度となく両親には注意され、彼にも言おうとするのを阻止し続けた。
ケンカになって険悪な雰囲気になるのが嫌だったし、鬼マネさえ黙っていれば、彼は普通にしていたため。
これも結果的には良くなかった。

●2003年11月~12月

どんなに遅くなっても帰宅するようになる。
彼は腰痛を悪化させてしまい、歩くのも困難な状態だった。
ここからの1ヶ月間に彼は鬼マネの離婚の理由にできる行動や態度や言動を探していたらしい。
最初に離婚の理由に挙げられたのは、
・鬼マネがみっちーが熱を出しているのにバレーの試合に行った。
・固定資産税を滞納していた。
・都内に引っ越そうと言っても聞いてもらえなかった。
・こずかいが少なかった。
・腰痛で苦しんでいるのに、ソファに寝かされた。
・働いてくれなかった。
などだったのだけど、この内のほとんどは、この帰宅していた1ヶ月間のやり取りや出来事だった。

●2003年12月31日

彼から携帯にメールで、離婚したいと言われる。

事件勃発からの日々編

■2003.12.31 それは1通のメールから始まった

晦日の夕方4時過ぎ、彼から携帯にメールが届く。
『突然こんなこと言って驚くと思うけれど・・・』から始まったメールには、離婚したいという理由に、給料が下がったこと、体調が良くない(腰痛)ために千葉からでは通いきれないなど書かれてあり、父親としての義務を果たしていないことを申し訳なく思っているといった内容だった。
最後、明日帰るから話し合いたいとあったので、実家に相談がてら行った。
元々大晦日だったので、おせちを分けてもらい、ついでに年越しそばも食べさせてもらうつもりだった。
鬼父には離婚のことは話した。
鬼マネが「彼から離婚したいとメールで言われた。もう離婚してもいいだろうか?」とだけ言うと、鬼父はひと言で返してきた。
「もういいだろ、離婚しろよ。」
このひと言で鬼マネはほんとに救われた気がした。
「なんで?」とか「何があったんだ?」とか、こういう時普通は出ると思うひと言もないということで、鬼父が鬼マネたち夫婦をどう見てたかがわかった気がしたからだ。
この日から約9ヶ月間、鬼マネ家の大騒動が始まった。

■2004.1.1 1回目話し合い(日記より)

12:00過ぎに帰宅。
話し合いはしばらくの間沈黙が続き、その後殿から切り出されて始まった。
みっちーが具合が悪いのにバレーに行ったことを例に出され、「考え方の違い」を理由に性格の不一致を主張された。
しばらくは我慢の限界だという押し問答。
結局私が離婚に応じるような話しをしたことで、条件的な具体的な金額や時期などの話しになった。
養育費(慰謝料を含めて)月10万。
みっちーの小学校卒業までに離婚したいと言われた。
具体的な話しは殿に任せて、その条件によって受けるか受けないかを決めたいと、5時頃に話し合いを終了。

■2004.1.2 親戚に相談(日記より)

年始の集まりが予定されていたので、その前におばちゃんと話し合いをした。
絶対に離婚をしない方向でいくように言われた。
その後実家へ行き、おじちゃんたちにも、離婚をする理由にならないと言われて、具体的な対策を話し合った。
父からは、今後これから一切離婚に応じるような話しはするなときつく言われ、10日以降弁護士に会ってみることに決った。

1日いろんな人に話しを聞いて、私が悪いと言われる必要がなかったことや、性格の不一致だけでは離婚の理由にならないこと、調停や裁判もやってもらって構わないと言ってくれたことで、勇気が湧いた。
私だけの問題ではなかったことを実感。
そして、子育てについて殿にとやかく言われる筋合いはないと言うことも痛感した。
今まで全く放任して全部まかせっきりにしてきた人に、子供たちのことを言わせなくても良かったんだな~。

殿の矛盾点
・こちらが都内に住むことや私が仕事をすることで、都内にもうひとつ家を借りることを提案すれば問題は解決のはずが、それを言ったら、性格の不一致を主張した。
・時期を早める。子供たちの今の状況を考えても、今はまだ時期的に早いと思われるのに、みっちーの卒業までにはと言っている。急ぎすぎる。
・私の母親としての考えに問題があると言いながら、子供は渡すつもりらしい。問題ある母親を理由にするなら、子供は引き取ろうとするはず。ひとりになりたいらしい。
・ほとんど帰ってきていない状態で、家庭の様子が判断するのは難しいと思う。
・高価な時計や服を頻繁に購入していたこと。そのお金がどこにあったのか。(サーフボードなども)11月か12月に10数万のタイヤも自分のカードで購入していた。)そういう余力がなぜあるのか。そういうお金があるなら、都内にアパートを借りることもできたのではないか。
・おととしくらいにマイレージが溜まったといって、ひとりで旅行に出かけたこと。
・持ち帰る衣類に女性のものが何度か混ざっていた。

帰宅なし

■2004.1.3 準備(日記より)

サイトへ書き込みしたらレスがあった。
殿に言われた言葉は、まりさんいわく『笑っちゃうくらい同じ言葉』だったらしい。
やはり女がいると思う。

占い師のMさんにみてもらおうと思った。
覚悟を決めるのには、心を鬼にするには、もうひとつ何かが必要で、その頼みの綱にMさんを選択してしまった。
それでも、まだ捨てられない。
それが愛情なのか、将来の希望なのか、意地なのか、それが私にはわからない。

でも私にならできるはずなんだ。
これだけの苦労や我慢ができたのだし、今までの数々の問題や反省点もなんとかクリアしてきた。
逃げ回る殿と違って、私は自分のしたことにちゃんと向き合って、逃げなかった。
どこで何をしても、私は結果を出してきた。
それが2人の子供の将来を背負うことでも、ちゃんとクリアできるはずなんだ。

それだけの力はある。
その自信はある。
負けることを恐がらない私は、きっと底抜けに強いはずだ。
一生懸命にならなくても、頑張り過ぎなくても、私には助けてくれる人や、支えてくれる人がいる。

だから殿との修復も頑張ろうとしているのだろうか。

準備を始めた。
携帯のデータを抜き取るソフトや、不受理届けを出すことや、そんなことも同時に進行している。

今日制服を作りに街へ出た。
すれ違う夫婦がみんな幸せそうに見えてしょうがない。
私は多くは望まなかった。
殿は家を建てたことも、車も仕事(出世)も、全て私が望んだように言っていた。

いい時は、それを得意げに言い、悪い時は、「お前のせいで」と言っていたっけ。
私はそんなこと望んでなかった。
ただ幸せに、平和に、それだけだった。
まだ何とかなるんじゃないか。
やっぱり私はまだそんな事を考えているようだ。

帰宅なし。

■2004.1.4 家にいるのが苦痛(日記より)

友達のMが離婚のことでもめ始めた時に、家にいるのが苦痛だと言ってたけど、私も同じ気持ちになった。
家にいるのが苦痛で仕方がない。

今日は事務局長に話した。
やっぱり同じ意見だった。
あまりに急ぎ過ぎている。

午前中、殿の実家へ電話した。
行っているかと思ったけど、来ていないらしい。
お義父さんだけが、最後の頼みの綱だと思う。
知らん顔してお年玉もらって、何事もなかったようにしているのがいいのか、話した方がいいのか、父も母も迷っているらしい。
私も迷っている。
とにかく明日、区役所へ行って、不受理届けだけ出してくることになった。
昨日も帰宅なし、今日はどうだろう?

こんな生活がいつまで続くんだろう。
みっちーは何か気付き始めているらしい。
私にベタベタしてくるし、今まであまり言わなかった殿への不満を口にするようになった。
態度に出していないのに、なぜ感づくんだろう。
愚問だ。
私は4歳だったけれど、感じ取った。
みっちーは12歳だ。
気付かないはずがない。

殿、どうしちゃったんだろう?
占い師のMさんと連絡が取れないことを、事務局長は「会わないほうがいいってことかもね。」と言っていた。
私もそう思っていた。
Mさんに頼んで縁切りしてもらうには相手の生年月日と名前が必要らしい。
それを聞き出すにも、お義父さんだけが希望となるかも?だ。
早く終わりにしたい。
そして、またしばらくは平和に暮らしたい。

■2004.1.5 戦闘開始(日記より)

父と母が長崎へ発った。さすがにちょっと不安になった。
でも昨日事務局長に話して、朝メールチェックしたら、メールが届いてた。
泣いてしまった。
やっぱり少し弱っていると思う。
飛行機の件でおばさんからも電話があり、やはり泣かれた。
自分が弱っているので、気付かなかったけれど、他人の話しを聞いて、泣いてもらえるというのは、ありがたい。
当たり前だと思っていた事に、少し反省。
自分がそうやって泣けるかと言ったら、やっぱりそうは行かないと思う。

区役所に不受理届けを出しに行った。
半年後に更新しないといけないと説明された。
その間に解決していれば、更新の必要はないと言う。

父が朝から何度も電話をしてきてた。
明日実家に行くので、その作戦をあれこれ考えてくれている。
父をこんなに頼りにするのは、久しぶりで、かなり頼もしい。
事務局長はそんな父の事を『司令官』だと言ったけど、本当にその通りだ。
夕方、携帯に殿から電話があった。
離婚はしないと伝えると、冷静に聞いているのか、そうくると思ってたのか、静かに「じゃあ、調停にかけるから。」と言われた。
思いとどまってくれないだろうか。

占い師のMさんにもやっと連絡が取れた。
松の内の間は動かない。」「相手の人に今までいい顔してきたんでしょう、ゆっくりでいいから、今の内に美味しいものでも食べておきなさい。」
と言われた。
私とは直接話さなかったのは、何か考えるものがあるらしい。
「冷静になりなさい。」
と言ってたそうで、その時、すがりつくような気持ちだったので、見透かされたようでちょっとどきっとした。
自分では冷静なつもりなのだけど、殿の電話ひとつで動揺しまくっている自分を見てると、ちょっと情けないなと思う。
私の事を「さみしくて飛んだりはねたりしてるけど、まあそれはしょうがない。」と言ってたっつーのには、苦笑したけど。
Mさんは子供でもできたんじゃないか?と言ってたらしい。
金づる女ができただけで、ここまでの決断をするとは思えないので、私もそう思ってる。

父は長崎から電話してきて、周りに何を言われたのか、
「お前にはやましいことはないんだな?」
と確認してきた。
殿は私にそんなものがあったら、私を許さないし、相手にも慰謝料を請求するくらいのことはする人だ。
証拠でも握ってるんじゃないか?と言われたらしいけど、そんなものを持ってるなら、もうとっくに私は追い出されてる。

■2004.1.6 平和な空間(日記より)

今日実家へ行った。
様子を見たかったのもあるし、お年玉やクリスマスプレゼントをもらいたかったこともある。
実家は全く何も聞かされていなかったらしく、いつもの賑やかさだった。
最初は暗かったけど、いつも通り大笑いしてしまって、なんだか癒されてしまった。

結局何も言わず帰宅。

■2004.1.7 戦いの火蓋(日記より)

朝起きたら殿が帰宅していた。
シャワーを浴びている間に携帯をチェックした。
私が見ないとでも思っているのか、ロックもされていなかった。
S子だった。
まさかの相手だった。
別れたはずの女。
Reマークがついた分割されたメール。
「強い女でいてね。」
引用マークがついているということは、S子が自分の友達か誰かから受け取ったメールを殿の携帯に転送したってことらしい。
これを強さだと言うのか。
こんなことをさせることを強いと言うのか。
そんなこともわからない馬鹿と戦わなくてはならないなんて。
2ヶ月の帰宅を改心だと思った自分の甘さに腹が立った。
ふたりで綿密に作戦を練って、虎視眈々とチャンスを伺っていただけのことじゃないか。
何かおかしいと思った自分に拍手したくなった。
私が鬼に変わらないことを祈るがいい。
「あいつは俺の言うことならなんでも聞くから。」
とでも言ってたんだろう。
絶対に逃がさない。そして許さない。
今はまだ不安だけれど、私が逆転できるチャンスを絶対に掴みたい。
今まで我慢し続けたんだ。
妻の立場がどんなに強いかを、法律で守ってくれると言うなら、本当に守って欲しい。
そして白旗を揚げて、私に土下座してひれ伏すまで、私は止めないでいてやる。
人を恨むことはしたくないけれど、殿に思い知らせるのは私にしかできないと思う。
今まで絶対に認めなかった事を、今度は認めさせてやるんだ。

車と保険証券を持って行かれた。(携帯だけでは相手がS子だということは半信半疑だったのに、証券のことを言ったのが命取りだった。やっぱり馬鹿な男だ。いや、そこまで私を馬鹿にしているんだろう。自分では何も考え付かないくせに。)
生活費も出せないと言うし、家も売るから出て行けと言う。
そんなことが何ひとつできないと言うことを、私は馬鹿な振りして先回りしてやってやる。
ただ泣いて困っているフリをし続けてやる。

■2004.1.8 情けない・・・。(日記より)

事務局長の家で馬女キャプテンたちと話してたら、殿から電話があった。
お義父さんから電話があって、2人で話し合えと言われたらしい。
でもそれは拒否。
もう2人で話しても結論が出るわけがない。
その間に私はもっと動きたいし。

馬女キャプテンからB型男の特徴について聞いた。
笑えるほど殿の行動にそっくりだ。
「多分何も考えてないよ。」
私もいろいろ考えたけど、殿の性格から言って、S子には大丈夫だとか言って、何も言ってないかもしれないと思った。

それでもひとりになるとくじけそうになって、占い師のMさんに昼間電話してしまった。
留守だったけれど、昼過ぎにMさんの方から電話があった。
殿は去年から最高の運気で、だから新しい生活とかそういうことを考えるのだそうだ。
「でもこの人ほんとに優しいのよね~、あなたにとってもいい人なんだけどね~。優しいからもてるのよ。」
私は変化がある年で、だからいろいろあるらしい。
「近いうち会いましょうね。」
と、言われた。
優しいからって浮気していいわけない。
優しいからって、愛人の方の言うことを聞いてやっていいわけない。

殿の実家はまだ相変わらずただの夫婦ケンカだと思っていて、二人で話し合えとか言ってる。
こっちが弁護士にも会ってたりしてるとわかったら、さぞびっくりするだろう。

殿はあれだけ啖呵きってたくせに、調停にはまだ持って行ってないらしい。
夜殿本人に電話して聞いたら、やはり離婚する方向で気持ちは変わっていないという。
性格の不一致だけで別れると言ってる。
「だって壊れたものはもう元へは戻らないんだから。」
それは私のセリフだ。
壊してるのは自分だと言うことを、なぜ認めずに、人のわるいところばかりを言うんだろう。
男らしさのかけらもない。
まったくこっちが男じゃんか、文句も何も言わないでいる。

車はどうするのか聞いた。
答えを避けられた。
どこに泊まっているのか聞いた。
お台場だと言ってる。
嘘つき。
いつまでウソが突き通せるか、見てやろうじゃないか。

■2004.1.9 弁護士に会う(日記より)

おじちゃんの紹介で、弁護士に会った。
ベテランの女性で、思ったより親切だった。
やはり法的には殿が言うようには離婚はできない。
伸ばせるだけ伸ばして、自分の生活を確保したい。

占い師のMさんに電話した。
やはり思った通りだった。
殿はもう気持ちは変えないだろうと。
ショックだった。
事務局長のメールを読んだ後だけに、ショックだった。
ずっとあったこの感じは、やっぱり殿の決心が感じ取れたからだったのだろう。
私が今ひとつ決心がつかなかったのは、このせいだったんだ。
今日電話して良かったかもしれない。
もう戻って来ないんだとわかってれば、私も言いたいことを言える。
私が2人で話したくなかったのは、殿の決心が読めてしまうからだったんだ。
それならいい。
後は子供たちを守るだけだ。
後は殿を許さないだけだ。
今日はもう考えるのやめよう。
明日から、また考えよう。

弁護士への相談は、1時間1万円など、時間で支払えば誰でもできます。
今はインターネットで調べれば、詳しい法律や対処の仕方などを解説しているサイトはたくさんあるので、そこである程度下調べをして、聞きたいことをメモ書きして相談すると効率がいいと思います。
また、夫婦関係について参考として聞かれるし、説明も必要なので、箇条書きにして資料として用意しておくといいです。
自分では些細なことだと思うことも、法律では違った解釈になることもあるので、弁護士と話すときはかっこつけずに話した方がベスト。
自分に不利だと思うことも、隠さない方がいいです。
弁護士費用は高いから・・・と自分だけで対応しようとしても、ふたりだけだと感情的になるし、親が入ったりするとなおさら。
鬼マネは弁護士さんに相談したことで、妻の法律上の権利などを知って、ずいぶん考え方が変わったので、相談料が高いとは思いませんでした。

離婚日記 鬼マネシングルマザーへの日々 vol.2へ続く