貝塚クラブ 鬼マネの日記

貝塚クラブは千葉市若葉区のママさんバレーのチームです。 鬼マネは貝塚クラブに入部してもう25年くらい経ちまして、いつの間にかチーム最古参になっておりました。 ブログにはバレー以外に、鬼マネの日々のことや、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。

家庭婦人連盟所属。

千葉市(1ブロック)のチームです。

ブログにはバレー以外に、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。


改めまして、鬼マネのプロフィール 杏里編

今日ベイエフエムから懐かしいイントロが流れてきまして、久しぶりに聴いたなあと。
(知らなかったけど、bayfmって正式な会社名はカタカナ表記なんですね。)


www.youtube.com

杏里のSummer candlesでございます。
聴きながら記憶を辿ってみてたのですが、鬼マネが杏里のスタイリストの仕事を初めてやらせてもらったのは、サマキャンがヒットしたすぐ後のツアーからでございました。
で、すっかり忘れてたけど、サマキャンはドラマの主題歌になってて、それでヒットした曲なんですね。
で、そのドラマというのが、

ja.wikipedia.org

日本テレビで放送された『恋人も濡れる街角』なのですが、鬼マネはこのドラマのスタイリストのアシスタントを担当しておりました。
(計算したら鬼マネが23歳の時で、33年前でした。あーびっくり。)
何か縁を感じますね~。なんで忘れてたんだろ。
ちなみにこのドラマのキャストに、最近コロナ感染で名前出てる野々村真さんもおりました。(笑)

若い人に『杏里』と言っても知らない人がほとんどらしいです。
でも『オリビアを聴きながら』と『キャッツ・アイ』歌ってた人、というと、「あ~。」となるみたいです。
それでも40代、50代の方に言うと、「聴いてましたよー!」「好きでしたよー!」「すごーい!」となってくれるので安心したりして。(笑)

23歳くらいから結婚してみっちー産むまでの数年間は、杏里の専属スタイリストをやらせて頂きました。
なのでもしCDお持ちでしたらCDジャケットのスタッフの名前が書いてあるとこ見てみて下さい、鬼マネの名前あると思います。ぶぶぶ。

MIND CRUISIN'

NEUTRAL

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この写真は、アルバムの『NEUTRAL』のジャケット撮影中に、出番待ちのチンパンジーの相手をしてるとこでございます。
ジャケット写真と並ぶとわかるかと思いますが、同じ場所でございます。

杏里のようなアーティストの場合、アイドルとかバラエティタレントとは動き方が違って、専属になると1年通してスケジュールを空けないといけなかったりします。
なんでかというと、CDの制作をして、その後ツアーするからでございます。
レコーディング期間は数ヶ月かかりますけど、その間にCDジャケットの撮影したり、MVの撮影やプロモーション活動をします。
杏里はレコーディングは海外でしたので、『MIND CRUISIN'』の時は、オーストラリアに1ヶ月、ロスに数週間と全く日本に帰れまテンでした。
(ちなみに『NEUTRAL』の時は湾岸戦争まっただ中で、海外渡航ができませんで、レコーディングも日本で行ったため、ジャケット撮影も日本で、上の写真は熱海かどっかの熱帯植物園でした。)
で、ツアーの前にわーっとテレビや雑誌の取材をします。
その感じは今もさほど変わってないみたいで、アーティストがやたらテレビに出る時は、もうすぐCDが発売されるってことでございます。
プロモーションが終わると、ツアーに入っていきますが、ツアー始まると、日本中を飛び回ることになります。
九州方面行けば、主要都市数ヶ所でライブやるので、1週間とか帰れなかったりします。
当時の杏里はサマキャンの後、『スノーフレイクの街角』もヒットしたので、めっちゃ売れてましたから、ツアーも東京なら武道館、大阪なら大阪城ホール、名古屋ならレインボーホール(現在は日本ガイシホール)と、デカい会場ばかりだったし、そうなると各地のイベンターの扱いも超VIP待遇でしたので、新幹線降りると「荷物お持ちします!」とか鬼マネ達もやってもらえたもんでした。(笑)

ツアーは何ヶ月も続きますので、1年間のスケジュールはほとんど杏里だけになるってことになるわけです。
でも他にも仕事は入ってくるし、鬼マネは他にもほぼ専属でやらせてもらってたタレントさんがいたので、ほぼ休みはなく、若かったからできたみたいな毎日でした。

5年前になるみたいですけど、杏里が習志野でライブやったときは、おばあたちを連れて行ったりしてみました。(爆)

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onimane.hatenablog.com

これはあんまり「え?」と言われないので、詳しく解説しないのですが、鬼マネは『ヘア・メーク』さんでもあり、『スタイリスト』さんでもあったのでございます。
杏里はスタイリストの方でお仕事しておりました。
ステージ衣装も作ったりしてたんですよ。
間に合わなくて、会場にミシン持って行って、ギリギリまで縫ってた、なんてこともあったなあ。懐かしい。

あのまま仕事続けてたら今頃何してたかなあと思うこともありますし、亜門は「IKKOみたいになってたかもじゃね?」なんて言ったりしますけど、その場合確実に亜門はこの世に存在してなかっただろうと思います。ぶぶぶ。
で、仕事続けてたら、今のような子供達との関係は築けてないはずなので、これでオッケーってことでございます。