貝塚クラブ 鬼マネの日記

貝塚クラブは千葉市若葉区のママさんバレーのチームです。 鬼マネは貝塚クラブに入部してもう25年くらい経ちまして、いつの間にかチーム最古参になっておりました。 ブログにはバレー以外に、鬼マネの日々のことや、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。

家庭婦人連盟所属。

千葉市(1ブロック)のチームです。

ブログにはバレー以外に、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。


千葉市中央区のいいとこ情報 生実と書いて『おゆみ』と読む町

暑すぎる夏から、いきなり秋になりまして、衣替えが間に合わず、ちょっと羽織るものもなく、どーしましょ?な鬼マネでございます。

鬼父が亡くなり、鬼母もグループホームに入所して、主のいなくなった鬼マネの実家は、週に何回か行く鬼マネのお休み処となりました。
実家は千葉市中央区の住所で生実町ではありますが、中央区のはずれになりまして、すぐとなりが緑区おゆみ野になります。
生実と書いておゆみと読みます。
千葉人でも読めない人多いです。
おゆみ野と良く間違えられますが、生実町は古い町でして、おゆみ野は新しい街でございます。
おゆみ野地区の開発を、横目で見ながら大人になりました。(爆)

涼しくなったので、鬼父が亡くなってから考えていたことをやってみました。
近所の散歩。
おいおい、それだけかい、と言われそうですが、この地区のじじばばの散歩は普通の距離ではございません。
というのも、この辺の人はもちろん、明徳高校出身者もご存じかと思われます、ものすごいアップダウンのある町なのでございます、生実って。
だからというわけではないでしょうけど、この辺のじい様、ばあさまは足腰が丈夫でございます。
日常で鍛えられてるからかと思われます。
鬼父は、生前、認知症を発症したころだと思われますが、日々のことをメモ書きのように日記を書いておりました。
家の整理をしてて見つけて読んだのですが、ほぼ毎日、早起きしては大百池まで散歩してたようです。
なんのことはない、鬼父はたばこ吸ってたのですが、鬼母が禁煙して、その途端鬼父にも禁煙を強要しまして、そのあと隠れてたばこを吸い続けていたのでございます。
それで毎日ひとりになるために、散歩に出かけていたんでしょう。
(家の片づけの時に、ありとあらゆるところから、鬼父の隠したたばこやライターが出てきまして、呆れましたです。)

お散歩スタート。
鬼マネの実家は棚状になっておりまして、道の上と下に家が建ってて、入ってきても行き止まりになってて、車は通り抜けできません。
10件足らずの部落状態で、高齢化が進み、今は半分が空き家になってしまいました。

聖子ちゃんのインスタで見て一目惚れして、DMでオーダーしてゲットしたバルーンスカート。
お盆に着ようと思ってたのに、喪服着ることになり、夏が終わりそうになって慌てて着ました。
スカート丈、ばっちり。テンション上がりました。

行き止まりの先は山道なのですが、久しぶりに歩いたら、獣道みたいになっておりました。
もうこの道を通り抜ける人はいないんでしょうなー。

トトロに会えそうな道を進みます。
子供の頃は自転車でノーブレーキでかっ飛んだりしたものですが、歩いて上るのは結構ハード。
この上りきった先に、鬼マネの母校の生浜中(現生浜東小)がありました。

鬼父がせっせと散歩したように、鬼マネも昔から大百池までのコースをぶらぶら歩くのは好きでした。
調べてみたら、南生実の先の山だったところは、昭和52年から開発の事業が開始、昭和59年に最初の街びらきがされたとあります。
ゆみーるがオープンしたのが平成6年になってるので、みっちーが生まれてからだったんですなあ。
で、大百池が公園になってきれいになって完成したのが平成12年なので、亜門が生まれてからってことになります。
鬼父が「大百池、きれいになったんだぞー。」と教えてくれたの覚えてます。
親子して長年大百池付近をぶらぶらしてたってことですなあ。

鬼マネの実家から大百池までは、歩いて20分くらいです。
公園でひとやすみしたりしたら小1時間かかるってことなので、長めの散歩になります。
久しぶりに歩いてみたら、変化もあったし、まったく変わってないとこもあったし。
鬼父もこんな風に歩いてたのかなあ・・・なんてなことを考えながら、てくてくしてみました。

大百池までは、マイナスイオンたっぷりのひんやりした空気の薄暗い道のりだったはずでしたが、ここも開発されておりました。
湿地帯だったはずですけど、住宅地になっちゃうんですなあ。


大百池に向かう途中はすっかり住宅街になっておりました。
右側は相変わらずな山と畑ですが、左側は家だらけ。

まだまだ開発中なようでした。

大百池到着。
鬼マネが子供の頃の大百池は、ため池そのまんまで、池っていうより沼。
今はすっかり整備されております。

池の周りを1周ぐるっと歩いてみるのもいいかも。
鴨っぽい水鳥がいましたねー。
のどかな景色が広がっております。
鬼マネの実家から大百池行くと、裏側から公園内に入る感じになります。
表側はしまむらのすぐ裏手になり、遊具があるし、無料の駐車場もあるので、日曜日はちっさい子供連れの親子が多いです。

鬼父はベンチに座ってのんびり過ごしたんだろうなーと思われ。
亜門が小さい頃は、一緒にいってたみたいです。
亜門は4歳の時に鬼マネが離婚しておりますので、その後小学校高学年になるころまで、週末は実家にお泊まりさせて預かってもらうという生活でしたので、鬼マネより鬼父の晩年を知ってたりします。

大百池と言えば、な脱線したお話になりますが。
このベンチのすぐ後ろにあるこの建物。

もういい加減取り壊されてるだろうと思ったのに、まーだありました。
これ、心霊スポットになってるのを聞いて、へーでした。
鬼マネが子供の頃から廃墟のままです。
当時はこんな囲われてなくて、探検だー!とか言って、中に入ったことあります。(笑)
大百池自体がうっそうとした森の中でしたので、実際この建物も不気味ではあったのですが、お化け出るとかの噂話しにもしないくらい、誰も興味持ってなかったです。
ずっとあるんで。(爆)
ネットで調べるといくつか出てきますけど、廃墟なだけだし、1970年代後半まであった旅館とか書いてる記事もあるけど、実際はもっと前だと思いますね。
鬼マネが子供の頃には見た目は今と同じくらい廃墟でしたから。

同じく、子供のころから、当たり前のように見てた景色のひとつに、飛行機があります。
小学校の頃に、担任の先生が教えてくれたと記憶していますが、この辺は飛行機の航路になってるので、常に空に飛行機が飛んでるのは日常の景色でございました。
改めて見てたら、羽田に行くのと、成田に行くのと両方飛んでるんですね、たぶん。
散歩してる間も、ひっきりなしに上空に飛行機いました。
夜だと、点々と飛行機のライトが見れたりします。
千葉は羽田と成田が近いので、都賀でも飛行機は常に飛んでおりますので、珍しくはないですかね。

きゃー、ぶつかるー!みたいな写真も撮れたりして。(笑)

とにかく田舎なので、電線が映り込まない空の写真も簡単に撮れます。
時代劇向きな地区です。なんてな。

この町に生まれて育ったら、虫とは共存してるのが当たり前なので、「虫ムリー!」とか言ってみたかったです。
子供の頃は虫だけじゃなくて、牛ガエルやザリガニやイタチや白鷺などなど、都会の人が驚愕するような動物も普通に存在してるので、騒がないことを驚かれたりします。
散歩いてる間だけで、いきなり鳩に遭遇したり、てんとう虫を見つけたりしました。
トンボはもう日常です。おどろきゃしねー。

てんとう虫って、久しぶりに見たぜ。

この時期、トンボはわんさか飛んでるし。

と、思ったら草むらにいきなり鳩。

大百池の帰りに、八釼神社にも寄り道してみました。
まあ、なんといっても氏神様ですのでね、「もうすぐまたこの土地に住むと思いますので、よろしくお願いしまーす。」と、ご挨拶しときました。
ついでに鬼父が亡くなったことも報告。
町内会でこの神社の祭りの時は、手伝いに来たりしてたのでね。
そういうのも田舎ならではですな、お盆前と後に、やぐら立てに男衆がかり出されるのですよ。
朝早く、近所のおじさんたちがぞろぞろ歩いて行ってたもんです。
最近はなくなったんですかねえ。

確か昔はこの参道の手前で盆踊りやってたと思うんですけど。
で、境内の横に南生実公民館があるので、子供会のイベントはそこでやってたんですね。
なので、なにかと子供の時は、この神社にきてたのでございます。

神社はこんな感じ。
氏神様なので、ごあいさつしときました。

神社は階段の上にあります。
やりましたよ、この階段で「ちよこれいとっ!」「ぱいなつぷる!」ってね。(笑)


みっちーが小さい頃、1回だけこの神楽見ましたけど、どんなだったか覚えてないです。(爆)

またもや脱線話しですが、この八釼神社のすぐ近くに高橋由伸の実家があります。(ありました、かもしれないけど。)
鬼マネと由伸の一番上のお兄ちゃんが同級生です。
上ふたりはサッカー部だったし、上二人と由伸は年が離れてるので、弟だと初めて聞いたときめちゃびっくりしました。
ちなみに南生実には『高橋』さんが冗談かと思うくらいわんさかいます。
みんな親戚ってことではないそうです。(笑)

歩いてて思いますけど、おゆみ野と違って、生実地区は過疎化が進んでます。
南生実地区は古い農家が多いから高齢化が進んでいるんでしょうし、廃墟のようになってる家も目立ちます。
「あれ?ここは○○ちゃんちだったけど。」
と、同級生だったはずの家が更地になってたりしてます。
次の世代になったのか、新しく建て替えてる家もあるにはあるけど、コンビニも遠いし、店がない。
坂も多いし、交通の便も恐ろしく悪く、高齢者が住める町ではなくなってます。
中央区なんだけどなあと思います。
大百池の周りが開発されてたり、鬼マネの実家の目の前に建ってた川鉄の社宅の跡地が住宅街になったりして、若い世代が流入してきてるのを見て、ちょっと安心してたりしますけど、まだまださみしくなってる一方です。
お盆に開催されてる生実池の花火が、近隣の人にはちょっと知らるようになったみたいで、そういうのもちょっと安心材料になってます。
鬼マネが鬼ばばあになってここに住むようになった時に、今より活気がある町になってることを期待しております。

今やビニールハウスで雑草育ててるわけで。
この中に死体があってもわからないよなー、とか思っちゃいました。(爆)

南生実地区は、こういう風情のある古民家的な住宅がまだまだいっぱいあります。
農家で地主というか、土地がでかい家が多いんですねー。
維持するのも大変だろうなーと思いますけど、残して欲しいですよね。

 

猫日記 猫名簿作成してみた その2

朝起きると、近くで待ち構えてた猫たちがエサを催促するのが日常になりました。
最初のうちは、控えめだったけど、最近はこうです。
カーテン開けると亡霊のように映し出されてて、ぎょっとします。
今のところ、この図々しい催促をするのはまだらさんだけですけど。

まだらさんは触らせてもくれるのですが、最近はこんなに接近できるようになってたりします。
近すぎだっつーの。

onimane.hatenablog.com

で、前回の猫名簿と比較できると思いますが、こいつら、ふくよかになってるし、大きくもなっております。
猫は年に2回出産するそうなので、いい加減にしないと、これが何倍になるんだろ?と恐ろしくもあるのですが、エサをあげて育成してるのは鬼マネだけでないみたいなので、離れていくことはございません。
まあ、おばあの日課になってるので、ま、いっかと思ってたりします。

まゆげはこのところしばらく姿を現さないです。
まゆげの子だろうと思われる3匹の『目尻』と『半分』も見かけなくなりまして、残ってるのはこいつだけになりました。

『1号』でございます。
顔に1本線入ってるので『1号』
1号の定位置は、生協の箱の上でございます。

全員ザ・野良猫なので、警戒心が強くて、触ろうとするとパーっと逃げちゃいますし、エサを出しても鬼マネがサッシを閉めるまでは、上がってきません。
特にクロは、いつもみんなの後ろに控えてて、なかなか接近しません。
身体も一番小さい。


逆にシンバは食いしん坊なので、いち早く接近してきますが、声も野太いし、強くて、ちょっと手を伸ばしたら、猫パンチされました。
さすがシンバだ、こんにゃろーめ。

グレー系のキジトラは何匹か居て、なかなか確認できなかったのですが、最終的にはこれが残ってるようで『ソックス』と命名

もう1匹のグレー系キジトラを『グレー』にして判別しております。
あ、こんな感じで毎朝エサタイムを展開しております。

薄茶で見分けしにくかったシンバともう1匹の『背中』は、こうやって並ぶと背中の模様で判別できたりします。

まもなく彼岸花んちのみしゃこが、動物病院を千葉で開業するので、こやつらの去勢をお願いすることにしたいのですが、1匹づつ捕まえるのが至難の技だと思われ。

みしゃこの動物病院については、近日中に詳細をお届けいたしまーす。
船橋方面の方は必見です。

鬼父の介護日記 葬儀の防備録

鬼父は病院で最期を迎えましたので、そのパターンになりますが。
「ご臨終です。」
となってから、病院を出るまでって、ものすごくあっという間でございます。
鬼父も朝9時過ぎに「呼吸してません。」と病院から一報が入って駆けつけて、「お世話になりました。」と出たのがお昼頃でした。
この間に、「ご臨終です。」までの時間があって、親戚達が駆けつけたし、遺体をきれいにしてもらう時間もあったしですが、その間に葬儀屋さんに連絡しております。
鬼父が逝ってしまって、まだボロボロ泣いてる時に、「この後どうしますか?」的な会話を病院としておりますし、調べて葬儀屋さんに電話して、病院に迎えに来る時間聞いたりしております。
鬼父と鬼母は、葬儀屋さんに積み立てしてたのを、実家を片付けてる時に発見しておりましたので、そこに電話したんですね。
(そういうのがなかったら、病院から紹介的な話しはされるみたいです。)
亡くなる前に、家族には、積み立てしてる旨話しておいた方がいいですよね。
鬼マネが見つけてなかったら、わからないままになってたでしょうから。

葬儀屋さんからは会員証的な証書みたいなのをもらってあったのですが、これは紛失してても名前と電話番号か住所を伝えればすぐわかるとのことでした。
病院から遺体を搬出するのは、葬儀屋さんの車でございます。
そのまま斎場へ直行しても良かったのですが、この時点では葬儀がいつになるかわからないし、鬼マネはいったんは自宅に戻してあげたかったので、二度手間にはなるでしょうけど、自宅への搬送でお願いしました。

自宅に着くと、遺体をどこに寝かせるか?ってことになりますが、幸いと言うべきか、3日前に家の片付けが完了してて、仏壇のある和室には何もなかったので、そこにしてもらいました。
8月15日でお盆でしたので、仏壇は鬼父のために用意したみたいに盆飾りしてあって、なんとも複雑な心境にはなりましたけど。(笑)
で、この時あちゃーだったのが、片付けた時に、布団も全部処分しちゃってたので、鬼父を寝かせる布団がなかったのでございます。
これは葬儀屋さんが掛け布団をうまいことたたんだりして、布団のようにセットしてくれました。
で、もうみるみる間にりんだの線香だのをセットして、鬼父周りのセッティング完了でございました。

で、休む暇無く鬼マネは葬儀の打合せでございます。
葬儀屋さんは搬送するときは、搬送する人、葬儀の段取りを決める人、が来てたんですね。
打合せ始めたら、搬送する人は帰って行きましたので。(笑)

この打合せが始まった時の段取り決める人の顔マネを、亜門が後で繰り返すので、笑っちゃいましたが、さっきまで一緒に沈んだ面持ちで居てくれてたのですが、「では。」と、打合せ始める瞬間に悪い人の顔になってました。(爆)

このご時世ですので、基本的には家族葬で、ってことにはなってたんですよ。
とはいえ、になりますね。
どんな形のお葬式にするかなんて、事前に考えておかないですからね、普通は。
お葬式に関しては、一時が万事、「どうする?」のオンパレードになります。
祭壇は?棺は?あれは?これは?です、とにかく。
んで、値切れない。(笑)
松・竹・梅の価格帯がそれぞれに用意してあって、竹を選ぶようになってます。
「これはちょっとさみしいですかね、ここまではしなくてもいいでしょう。」
な、感じで進み、結局竹でまとまるようになってるんですね。さすがです。(笑)
あとは遺体の処理もコースがあるんだけど、値切れないですよねえ。
しないってことなら、病院から着て来た浴衣のままだっていうんですよー。
これはさすがに松でお願いしましたよ。
白装束も必要だけど、鬼父亡くなった時、酸素マスク付けてた口呼吸だったので、口開けたままだったんでねー。

鬼父の場合、会員ってことになってるみたいですが、それも通常価格、会員割引って感じで、0円になってるのは控え室使用料だけ。
後から細かく明細見たら「これいらねーじゃん」ってのも多々あるんですよ。
骨壺ネームプレートとか。(4,000円になってるし!これ、骨壺に貼り付ける名札なんですけど、鬼父の骨壺やたら派手でご先祖様達の白い骨壺とひと目で違うってわかるから、必要なかったじゃんってなった。)
なので、積み立てしてても、その金額でおさめられるわけではなくて、はなからそういう設定です。
通夜振る舞いとかの料理の代金や返礼品はもちろん別途ですし。
なので、参列者が5~60人程度の葬儀でしたけど、会員割引と積み立てしてた金額引いても70万近く支払いありました。(明細見たら通常価格だと173万円でした。)

これ以外に、お寺にも頼むじゃないですか。
鬼マネ家は浜野の本行寺が菩提寺なのですが、この辺の段取りは、葬儀屋さんが全部やってくれたし、火葬場との日程調整とかも全部さっさと決めてくれるので、これはさすが慣れてるなーって感じ。
(死亡届とかも全部やってくれます。)

鬼父が亡くなったのは15日で、お通夜が20日になったので、16日に自宅から斎場へ搬出してもらったんですね。
5日間分の保管料もかかりました。
今年の夏は暑かったので、自宅に置いておけるのは1日が限界でしょうってことで。
時期によっては火葬場が混んでて、葬儀までに日数かかることあると聞きました。
そうなるとこの保管料もかかってくるってことですよねー。

で、お坊さんへのお布施はもちろんですけど別になるので、これはもうわからないからネットで調べたりして決めました。
(おばあちゃんの時いくらだったか聞いても、喪主が鬼父だったので誰もわからずでした。お寺さん関係は、おじいちゃんの頃から鬼父がぜーんぶやってたので、これは聞いとけば良かったーになりましたけどね。)

ネットで調べてて知らなかったことは他にもいろいろあって、進行やってくれるスタッフや通夜振る舞いのお世話してくれてる斎場のスタッフへの心付けとか、葬儀の日も火葬場への霊柩車の運転手さんや、火葬場で待ってる間に食事する時のスタッフへも渡さないとってあって、それが一体何人居るのかわからないから、ポチ袋用意しておいて束にして持ってました。(笑)
ただ霊柩車の運転手さんには渡せなかったんですよねー。
出棺ですぐに鬼マネだけが霊柩車乗ったので、バックとかを預けたままにしちゃってて、火葬場着いたら「喪主様はこちらですー。」と真っ先に誘導されちゃったので、時間がなくて。
いい人だったから渡せなかったのは心残りです。(笑)

今回受付は彼岸花とおやつにお願いしました。
彼岸花はそろばんの先生ですので、お香典の集計は暗算でやったよ!とドヤ顔されました。
貝塚クラブ長老会改めWBCの3人は、介護職ですので、鬼父の認知症が始まった時からもーとにかくいろいろ相談にのってもらったし、アドバイスも的確で、ほんと心強かったです。
最初に青葉病院の認知症外来を教えてくれたのはおやつだし、ケアマネさんを紹介してもらったのも長老会だし、鬼母の認知症を指摘してくれたのも長老会でございました。
鬼マネと一緒に鬼父の様子を見守ってくれたようなものですので、感謝、感謝でございます。

鬼父の介護日記は最終回だって前回書いたと思いますけど、その後のあれこれも書いていこうと思ったので、続編でございました。
ちなみに鬼父は無事四十九日を終えて、鬼ばばや鬼じじと一緒にお墓の中へ投入し、仏様になりました。
葬儀の前に、住職に生前の鬼父についてを書いて渡してあったのですが、(これはお寺の方から言われて書いたんですよ、鬼マネから自主的に渡したわけではなく。)それを踏まえてってこととお話し頂きましたが、戒名は、『本福院法慈日暢信士』(ほんぷくいんほうじにっちょうしんし)と付けて頂きました。
まー、なんて優しそうなお名前なんでしょ。(笑)
んで、またもや暢気(のんき)の暢が入っちゃったので、あの世でも「まーなるようにしかなんねーべー。」と、のんきにしてると思われ。
のんきにしてないで、鬼マネの守護霊になってくれないと困るんですけどっ!

 

 

鬼マネ日記 新たなカテゴリ作るぞ、こんにゃろー

今度の日曜日に鬼父の四十九日と納骨を予定しております。
聞けば並木家は、鬼ばばまでは、葬儀後すぐに納骨したんだそうです。
浜野の本行寺にご先祖様たちが眠るお墓がありますのでね、速攻で入ってもらってたんだそうです。
おばちゃんたちが青くなるほど、実家の生前整理をした鬼マネでも、さすがにすぐに墓に入れちゃうってことはできませんで、葬儀後、鬼父は西都賀の鬼マネんちで過ごしておりますです。
で、恐れていた「がくーん」もまだきておりませんで、うっかりして家に帰って線香あげるのも忘れちゃうこともございます。
ごめんよ、鬼父。ぶぶぶ。

で、葬儀後の約1ヶ月半、休みのたびにいろんな手配やら手続きやら後始末をしております。
入院してた病院の精算で支払いは終わったかと思いきや、レンタル用品の請求書がきたり、まあ葬儀代の精算もだけど、位牌作ったり、墓に鬼父の名前彫ってもらう手配したり、これもそれぞれにわらわら支払いあったしな。
『賢い葬儀』とか『誰も教えてくれない葬儀後の手続き』とかで新しいカテゴリ作ったるぞ!とか思っちゃいました。

両親亡くなってるならめんどくさくないんでしょうけど、鬼マネの場合、鬼母が生きてるし、でも鬼母が手続きとかできるわけじゃないので、まーこれがいちいちめんどくさい。
本屋さんで売ってる本には、鬼マネのパターンは書いてねーからなっ!
認知症と接するには』みたいな本もわんさか出てるけど、言って聞かせても、優しくしてもそれでも元気な人間を破壊する威力の認知症についてはひとつも書かれてないからなっ!
まあ、事実は生やさしくはないんですぅ~と、声を大にして言いたいっすな。

鬼母のおかげで、相変わらず行った先で大泥棒な冷血漢な娘と言われておりますが、同時に全て事実無根で鬼母が認知症だったことを裏付けてくれておりますので、それはよござんした。
亡くなった後の手続きに加えて、鬼母の施設から、更新しなきゃいけない介護関係の手続きやら、買ってきて欲しいものやら、ご相談、ご報告関係もまあまあな頻度でくるので、めんどくせーとか言ってる暇もありませんし、どうせやらなくちゃいけないことばっかりなので、せっせとこなすことにしております。
おかげで自分の運転免許の更新に行けてないけどなっ!

ただ、捨てる神あれば、で、みっちーや亜門や並木家親戚一同が鬼父が亡くなる前より近い存在になってるし、ちょっとズーンと落ちそうになってると、絶妙なタイミングで誰かが声かけてくれたりするので、ばばあ幸せでございます。
でさ、鬼父が入院したりして、ちょっとお祝いムードにはなれなかった7月に、みっちーは再婚したのですよ。
貝塚クラブの面々は、もうすっかりおなじみになってて、なんでかって言うと、みっちーが貝塚クラブに入って、セットで旦那のゴリが練習にきてるからなんですね。
で、このゴリが、もうとにかくいい旦那さんで、でも鬼父のことがあって、まだゴリのご両親とお会いできてないのです。
納骨済んだらってことになってるので、それも楽しみだし。

ってことで、久しぶりにだらだら日記書いておりますが、まだ仕事中っす。
おなかすいたのでかーえろっと。

みなちゃんとこと練習試合したよーん♪

先週の火曜日にみなちゃんのRISEと練習試合しました。
RISEは火曜日が練習日で、水曜日に貝塚に来るのは、メンバー揃わなくて難しいからということで、うちがお邪魔するパターンができてたりします。
その場合は水曜日の練習をお休みにしちゃえるからですね。
みなちゃんたちが練習してるのは、千城台みらい小(千城台南小と千城台旭小が統合してできた小学校でございます。)で、貝塚中とはとなりのとなりくらいの距離感なので、行くのは問題ナッシングなのでございます。

何より、RISEも貝塚クラブと同じで今年度は市登録しかしてないので、試合が少ないので、練習試合しませんかー?とみなちゃんからお誘い頂けたのでございます。
ちょうど貝塚も、練習だけでダレそうになってたので、渡りに船なお誘いでございました。
それ以降、何回か練習試合やらせて頂いております。

今回も15-21、11-21、18-21、6-6と、全敗。
なかなか勝つところまではいけておりませんが、練習より練習試合の方がみんなも楽しそうだし、実際出席率も良くなります。
今回は気が付いたらまちを入れれば貝塚クラブの正規メンバーで揃えてるということが判明。
3セット目は正規メンバーで対戦してみたりしました。

長いことゆるーい雰囲気でやってきてたので、黙ってると練習試合もイージーなミスを続けてたり、練習でやりかけてたことを忘れてしまってたりと、勝つことへの意識がなかなか上がりません。
それぞれだけでなく、チームのポテンシャルも決して低いわけではないはずなので、ちょっと気合入れてもらって、まずはイージーなミスを減らすことを意識してみてもらいました。
で、やっぱりな結果も出せるのが見れたのでございます。
3セット目は最後に逆転されるまではリードできてたのでね、「ですよねー。」でした。

鬼マネもねー、ちょっと頑張って動こうとすると、身体のどっかがピキっといったり、バキッとなったりするので、悲しくなりますけど、全日本のバレーなんか見ちゃうと、またやる気になったりしちゃいますねー。
「ああすればいいのか。」
みたいな。
実際は「ばばあはあーは動けないだろ!」って感じですけど。ぶぶぶ。
ちなみに今回、またもや真正面にきたボールをよけられず、頭で上げました。
当たった瞬間、これはきれいに当たったぞ!と思ったので、つながったと思ったのですが、周りは笑っちゃってそれどこじゃなかったらしいです。
知らん顔でそのまま打って決めてくれたりしたら、かっこ良かったのにー。

ところで、トルコのバルガスがかっこいいと、ネットでも騒がれておりますが、鬼マネもハマりました。


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ってか、自分はサーブポイント取れたりするとガッツポーズしちゃったり、コートの中でもやかましいのは有名だったりしますが、クールなアスリートが大好物だったりします。
男子だと得点決めたりすると「ふんがーっ!」と雄たけびしたりするじゃないですか。
どーもあれが苦手。
決めてもハイタッチくらいはしてもクールにしてる人が好きなんですねー。
なので、バルガスのクールな感じがどストライクだったのですが、ティックトックとかだとめちゃ笑ってるし、ダンスしてたりするし、それでまたそのギャップにやられております。
バレーは男子だとうおーっ!!とやってたりしますけど、思い返してみれば、貝塚馬女スーパーバイザーも、プレーヤーの時は、クールではないけど「どりゃー!」とはやってなかったなあと。(笑)
レシーバーあるあるですけど、自分が必死で上げたボールをエースが決めてくれて、レシーブ誉めてくれたりすると、5センチくらい浮いちゃってるんじゃないか?って気持ちになるんですよねー。
「よし、次も上げてやる!」みたいな。(爆)

急に涼しくなったかと思いきや、まだもう少し暑い日が続くらしいので、頑張りまーす。