貝塚クラブ 鬼マネの日記

貝塚クラブは千葉市若葉区のママさんバレーのチームです。 鬼マネは貝塚クラブに入部してもう25年くらい経ちまして、いつの間にかチーム最古参になっておりました。 ブログにはバレー以外に、鬼マネの日々のことや、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。

家庭婦人連盟所属。

千葉市(1ブロック)のチームです。

ブログにはバレー以外に、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。


千葉市中央区のいいとこ情報 生実と書いて『おゆみ』と読む町

暑すぎる夏から、いきなり秋になりまして、衣替えが間に合わず、ちょっと羽織るものもなく、どーしましょ?な鬼マネでございます。

鬼父が亡くなり、鬼母もグループホームに入所して、主のいなくなった鬼マネの実家は、週に何回か行く鬼マネのお休み処となりました。
実家は千葉市中央区の住所で生実町ではありますが、中央区のはずれになりまして、すぐとなりが緑区おゆみ野になります。
生実と書いておゆみと読みます。
千葉人でも読めない人多いです。
おゆみ野と良く間違えられますが、生実町は古い町でして、おゆみ野は新しい街でございます。
おゆみ野地区の開発を、横目で見ながら大人になりました。(爆)

涼しくなったので、鬼父が亡くなってから考えていたことをやってみました。
近所の散歩。
おいおい、それだけかい、と言われそうですが、この地区のじじばばの散歩は普通の距離ではございません。
というのも、この辺の人はもちろん、明徳高校出身者もご存じかと思われます、ものすごいアップダウンのある町なのでございます、生実って。
だからというわけではないでしょうけど、この辺のじい様、ばあさまは足腰が丈夫でございます。
日常で鍛えられてるからかと思われます。
鬼父は、生前、認知症を発症したころだと思われますが、日々のことをメモ書きのように日記を書いておりました。
家の整理をしてて見つけて読んだのですが、ほぼ毎日、早起きしては大百池まで散歩してたようです。
なんのことはない、鬼父はたばこ吸ってたのですが、鬼母が禁煙して、その途端鬼父にも禁煙を強要しまして、そのあと隠れてたばこを吸い続けていたのでございます。
それで毎日ひとりになるために、散歩に出かけていたんでしょう。
(家の片づけの時に、ありとあらゆるところから、鬼父の隠したたばこやライターが出てきまして、呆れましたです。)

お散歩スタート。
鬼マネの実家は棚状になっておりまして、道の上と下に家が建ってて、入ってきても行き止まりになってて、車は通り抜けできません。
10件足らずの部落状態で、高齢化が進み、今は半分が空き家になってしまいました。

聖子ちゃんのインスタで見て一目惚れして、DMでオーダーしてゲットしたバルーンスカート。
お盆に着ようと思ってたのに、喪服着ることになり、夏が終わりそうになって慌てて着ました。
スカート丈、ばっちり。テンション上がりました。

行き止まりの先は山道なのですが、久しぶりに歩いたら、獣道みたいになっておりました。
もうこの道を通り抜ける人はいないんでしょうなー。

トトロに会えそうな道を進みます。
子供の頃は自転車でノーブレーキでかっ飛んだりしたものですが、歩いて上るのは結構ハード。
この上りきった先に、鬼マネの母校の生浜中(現生浜東小)がありました。

鬼父がせっせと散歩したように、鬼マネも昔から大百池までのコースをぶらぶら歩くのは好きでした。
調べてみたら、南生実の先の山だったところは、昭和52年から開発の事業が開始、昭和59年に最初の街びらきがされたとあります。
ゆみーるがオープンしたのが平成6年になってるので、みっちーが生まれてからだったんですなあ。
で、大百池が公園になってきれいになって完成したのが平成12年なので、亜門が生まれてからってことになります。
鬼父が「大百池、きれいになったんだぞー。」と教えてくれたの覚えてます。
親子して長年大百池付近をぶらぶらしてたってことですなあ。

鬼マネの実家から大百池までは、歩いて20分くらいです。
公園でひとやすみしたりしたら小1時間かかるってことなので、長めの散歩になります。
久しぶりに歩いてみたら、変化もあったし、まったく変わってないとこもあったし。
鬼父もこんな風に歩いてたのかなあ・・・なんてなことを考えながら、てくてくしてみました。

大百池までは、マイナスイオンたっぷりのひんやりした空気の薄暗い道のりだったはずでしたが、ここも開発されておりました。
湿地帯だったはずですけど、住宅地になっちゃうんですなあ。


大百池に向かう途中はすっかり住宅街になっておりました。
右側は相変わらずな山と畑ですが、左側は家だらけ。

まだまだ開発中なようでした。

大百池到着。
鬼マネが子供の頃の大百池は、ため池そのまんまで、池っていうより沼。
今はすっかり整備されております。

池の周りを1周ぐるっと歩いてみるのもいいかも。
鴨っぽい水鳥がいましたねー。
のどかな景色が広がっております。
鬼マネの実家から大百池行くと、裏側から公園内に入る感じになります。
表側はしまむらのすぐ裏手になり、遊具があるし、無料の駐車場もあるので、日曜日はちっさい子供連れの親子が多いです。

鬼父はベンチに座ってのんびり過ごしたんだろうなーと思われ。
亜門が小さい頃は、一緒にいってたみたいです。
亜門は4歳の時に鬼マネが離婚しておりますので、その後小学校高学年になるころまで、週末は実家にお泊まりさせて預かってもらうという生活でしたので、鬼マネより鬼父の晩年を知ってたりします。

大百池と言えば、な脱線したお話になりますが。
このベンチのすぐ後ろにあるこの建物。

もういい加減取り壊されてるだろうと思ったのに、まーだありました。
これ、心霊スポットになってるのを聞いて、へーでした。
鬼マネが子供の頃から廃墟のままです。
当時はこんな囲われてなくて、探検だー!とか言って、中に入ったことあります。(笑)
大百池自体がうっそうとした森の中でしたので、実際この建物も不気味ではあったのですが、お化け出るとかの噂話しにもしないくらい、誰も興味持ってなかったです。
ずっとあるんで。(爆)
ネットで調べるといくつか出てきますけど、廃墟なだけだし、1970年代後半まであった旅館とか書いてる記事もあるけど、実際はもっと前だと思いますね。
鬼マネが子供の頃には見た目は今と同じくらい廃墟でしたから。

同じく、子供のころから、当たり前のように見てた景色のひとつに、飛行機があります。
小学校の頃に、担任の先生が教えてくれたと記憶していますが、この辺は飛行機の航路になってるので、常に空に飛行機が飛んでるのは日常の景色でございました。
改めて見てたら、羽田に行くのと、成田に行くのと両方飛んでるんですね、たぶん。
散歩してる間も、ひっきりなしに上空に飛行機いました。
夜だと、点々と飛行機のライトが見れたりします。
千葉は羽田と成田が近いので、都賀でも飛行機は常に飛んでおりますので、珍しくはないですかね。

きゃー、ぶつかるー!みたいな写真も撮れたりして。(笑)

とにかく田舎なので、電線が映り込まない空の写真も簡単に撮れます。
時代劇向きな地区です。なんてな。

この町に生まれて育ったら、虫とは共存してるのが当たり前なので、「虫ムリー!」とか言ってみたかったです。
子供の頃は虫だけじゃなくて、牛ガエルやザリガニやイタチや白鷺などなど、都会の人が驚愕するような動物も普通に存在してるので、騒がないことを驚かれたりします。
散歩いてる間だけで、いきなり鳩に遭遇したり、てんとう虫を見つけたりしました。
トンボはもう日常です。おどろきゃしねー。

てんとう虫って、久しぶりに見たぜ。

この時期、トンボはわんさか飛んでるし。

と、思ったら草むらにいきなり鳩。

大百池の帰りに、八釼神社にも寄り道してみました。
まあ、なんといっても氏神様ですのでね、「もうすぐまたこの土地に住むと思いますので、よろしくお願いしまーす。」と、ご挨拶しときました。
ついでに鬼父が亡くなったことも報告。
町内会でこの神社の祭りの時は、手伝いに来たりしてたのでね。
そういうのも田舎ならではですな、お盆前と後に、やぐら立てに男衆がかり出されるのですよ。
朝早く、近所のおじさんたちがぞろぞろ歩いて行ってたもんです。
最近はなくなったんですかねえ。

確か昔はこの参道の手前で盆踊りやってたと思うんですけど。
で、境内の横に南生実公民館があるので、子供会のイベントはそこでやってたんですね。
なので、なにかと子供の時は、この神社にきてたのでございます。

神社はこんな感じ。
氏神様なので、ごあいさつしときました。

神社は階段の上にあります。
やりましたよ、この階段で「ちよこれいとっ!」「ぱいなつぷる!」ってね。(笑)


みっちーが小さい頃、1回だけこの神楽見ましたけど、どんなだったか覚えてないです。(爆)

またもや脱線話しですが、この八釼神社のすぐ近くに高橋由伸の実家があります。(ありました、かもしれないけど。)
鬼マネと由伸の一番上のお兄ちゃんが同級生です。
上ふたりはサッカー部だったし、上二人と由伸は年が離れてるので、弟だと初めて聞いたときめちゃびっくりしました。
ちなみに南生実には『高橋』さんが冗談かと思うくらいわんさかいます。
みんな親戚ってことではないそうです。(笑)

歩いてて思いますけど、おゆみ野と違って、生実地区は過疎化が進んでます。
南生実地区は古い農家が多いから高齢化が進んでいるんでしょうし、廃墟のようになってる家も目立ちます。
「あれ?ここは○○ちゃんちだったけど。」
と、同級生だったはずの家が更地になってたりしてます。
次の世代になったのか、新しく建て替えてる家もあるにはあるけど、コンビニも遠いし、店がない。
坂も多いし、交通の便も恐ろしく悪く、高齢者が住める町ではなくなってます。
中央区なんだけどなあと思います。
大百池の周りが開発されてたり、鬼マネの実家の目の前に建ってた川鉄の社宅の跡地が住宅街になったりして、若い世代が流入してきてるのを見て、ちょっと安心してたりしますけど、まだまださみしくなってる一方です。
お盆に開催されてる生実池の花火が、近隣の人にはちょっと知らるようになったみたいで、そういうのもちょっと安心材料になってます。
鬼マネが鬼ばばあになってここに住むようになった時に、今より活気がある町になってることを期待しております。

今やビニールハウスで雑草育ててるわけで。
この中に死体があってもわからないよなー、とか思っちゃいました。(爆)

南生実地区は、こういう風情のある古民家的な住宅がまだまだいっぱいあります。
農家で地主というか、土地がでかい家が多いんですねー。
維持するのも大変だろうなーと思いますけど、残して欲しいですよね。