貝塚クラブ 鬼マネの日記

貝塚クラブは千葉市若葉区のママさんバレーのチームです。 鬼マネは貝塚クラブに入部してもう25年くらい経ちまして、いつの間にかチーム最古参になっておりました。 ブログにはバレー以外に、鬼マネの日々のことや、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。

家庭婦人連盟所属。

千葉市(1ブロック)のチームです。

ブログにはバレー以外に、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。


思ふこと 今日は雨

雨降って地固まる、と言いますが。
今日は土砂降りの大雨でした。
ですよね、このくらい降らないと、固まらないっすよね。はい。

『鬼父の介護日記』のカテゴリで書き始めた認知症な親との日々でしたが、当初は鬼父の認知症がこれほどいい認知症だとはわかっておりませんでした。
物忘れがひどくなってきたからと、雑談で話してて、おやつから教えてもらって、青葉病院の物忘れ外来に行くことになった時も、鬼父は全く無抵抗でした。
後に、本人が認知症を認めず、初期の段階での投薬治療ができなかった人の多いこと、多いこと。
「暢郎さんはなんて言って病院連れて行ったの?」
「いや、別に何も言わなくても行ったんだよね。」
「俺はそんな病院行く必要ない!って頑として言うこと聞いてくれないのよ。」
そう言われて、「ああ、そういうものなのか~。」と、驚いたものでした。
免許の返納もしかり。
「免許返納しに行くぞ!」
「えー、免許返すのかよ~。」
抵抗はこの程度で、これも黙ってついてきたし、その後も特にトラブルはなかったのでした。
食いぼけもなく、金ぼけもなく、エロぼけもなく。
3歩歩いたら忘れてしまうだけで、誰に迷惑かけることもなく、日増しに癒やし系キャラになっていくだけで、今も全く問題のない認知症です。

早くから、「暢郎さんより母さんの方がやばくね?」と、長老会改めWBCの面々には言われておりました。
それがどういうことなのか、いまいち良くわかっていなかったのですが、今は良くこのことを思い出します。

母さんの認知症がいつ発症したのかは、もう不明です。
ここにも当時書いてるのですが、鬼父を短期の施設に入れたのは、母さんがおかしいとなったからでした。
このときも、鬼マネは気づいてなかったのでございます。
気がついたのは、久しぶりに実家に行ったみっちーでした。
以前から母さんは、私に電話してきては、
「お父さんがまたお金取ったの。亜咲子さんから言って~。」
と、騒ぐのを繰り返していました。
もうよたよたで、歩くのもままならない鬼父が、タンスの上に隠したというお金を、夕飯を作っている短時間に踏み台も使わずに取れるはずがなかったのですが、母さんは聞き入れませんでした。
電話でひとしきり騒いで、気が済めばおさまるので、特に気にもせずに、いつも聞いてるだけでした。
今思えば、自分で何かをなくしても、誰かをターゲットにして、その人のせいにして騒ぐという図式は、鬼父から私に変わっただけのことだったのかもしれないです。

母さんがおかしくなって、私への攻撃が始まって、そういえばおばあちゃんもさんざんやられてたなあと思い出しました。
いつも他人事にして、嵐が過ぎるのを待つことしかしてこなかったけれど、どうにかできたのかなあ、どうすることもできなかったんだろうなあと、ぼんやりですけどいつも考えてた気がします。

認知症の人に、何を言っても伝わりません。
今日はちゃんと聞いてくれたり、今日はしくしく泣いてすがってきたり、今日はあることないこと言いまくって、罵ってきたりします。
去年の暮れに、鬼父が短期の施設から戻って、すぐに特養の施設に入所してから、母さんの私への攻撃は加速しました。
「私からお父さんを奪った自分勝手な娘」になったようでした。
このときも、数日でしたが母さんは鬼父を自宅で介護したのですが、3日ともたずSOSしてきました。
「私一人では無理。お父さんを施設に入れて。」
そう泣いて言ってきたのは母さんです。
実際には鬼父の特養入所は決まっていて、母さんがこうなるのを見越して、そのタイミングで説得することになっていました。
「だよね、そうしようね。」
でも次の日には、「なんで私に相談なしで決めちゃうの?私からお父さんを奪わないで!」と言ってました。
この頃からかなあ、母さんが嫌いになったのは。

ケアマネさんは言ってました。
「私は仕事だから聞き流せる。でも自分の親にあんなこと言われたら、正直耐えられないと思います。」
鬼マネも耐えられなかったです。
メンタルやられました。
昨日のXデーも、日にちが迫るごとに眠れなかったし、2日前に300件を超える留守電の存在が発覚して、その5件分くらいを聞いて、完全にやられました。
認知症の言ってることだから、聞き流せるはずなのに、聞いてしまうと「ああ、私のことをこんな風に思ってたんだ。」となってしまうからです。
これにはほんとに滅入りました。
自分勝手なこともふんだんに言ってるし、笑えちゃう部分も多々あるのですが、「なんで?」と思えてしまうことも多いのです。

鬼母の被害妄想は鬼父の特養入所後、たがが外れたように一気に加速しました。
で、鬼マネは『泥棒猫』になりました。(苦笑)
認知症の被害妄想のターゲットは、近い人になることが多いらしく、最初の頃、立ち読みした本には「最も信頼できる人」とも書いてありました。
ある意味光栄なことですが、何を言っても聞いてもらえず、どう説明してもわかろうとしない鬼母の一方的な攻撃には心が折れました。
そもそも認知症の人に、事実を整然と伝えたところで理解できるはずもないし、理解しようともしないです。
「私が留守の時に来て何か取っていく。」
「車は消防署のところに停めて歩いてくる。見た人がいる。」
「近所の人たちがみんな言ってる、最近亜咲子さん良く来てるって。」
「化粧品や腕時計を盗まれた。」
どう否定しても、誰が見たのか聞いても、まともに答えられないけど、言い張るのだけはやめなかったし、じゃあこれからひとりでどうやって生きていくんだと言っても、あんたの世話にならなくてもひとりで生きていけると言ってのけました。
この頃弱気な言葉のひとつでも鬼母から聞いてたら、距離を置くことはしなかったかもしれないです。
みっちーはこの時の鬼母の形相は、今でも忘れられないと言います。
面と向かって「泥棒猫!」と言葉にして言うのは、鬼母ぐらいのもんじゃないでしょうか。
イマドキドラマのセリフでも言わないっすよね。(苦笑)

実はこの日記、Xデーだった6月30日から書き始めて、今日はすでに7月11日になっております。
Xデーまでの2週間にもまたもや怒濤のように事件が続いたし、30日以降もまーこれでもかってくらい色々ありまして、鬼マネ自身が「書ける」状態ではなかったのでございます。
で、鬼母がグループホームに入所して10日位経ちましたが、当初心配されてた「家に帰る。」と騒ぐこともないようで、施設から連絡くることもありません。
もともと人にかまってもらうことが好きな人なので、職員の方達に優しく接してもらえてて、満足なんじゃないでしょうか。
笑い話にするまでにはまだもう少し時間がかかりそうですけど、鬼マネはもうできるだけ早く日常に戻したいとそれだけです。
鬼母が繰り広げた数々の出来事は、火曜サスペンス劇場よりも怖いです。(爆)
結構笑えるので、それは追々お伝えしようと思います。