貝塚クラブ 鬼マネの日記

貝塚クラブは千葉市若葉区のママさんバレーのチームです。 鬼マネは貝塚クラブに入部してもう25年くらい経ちまして、いつの間にかチーム最古参になっておりました。 ブログにはバレー以外に、鬼マネの日々のことや、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。

家庭婦人連盟所属。

千葉市(1ブロック)のチームです。

ブログにはバレー以外に、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。


思ふこと まだ全然まとまってないんだけど

鬼マネの中の中居正広という人は、少年なのでございます。
中居くんがまだ10代の高校生の頃、テレビ東京の『あぶない少年Ⅱ』という番組で一緒に仕事しました。
1年くらい続いたんだっけな。
その後続けてSMAPでデビューしてからの番組も一緒だったから、当時はなんだかんだ言って長いこと仕事してたんだと思います。
あぶ少(めんどくさいから略しますけど)は、出演者のSMAPもまだ森君がいて、デビューも決まってなくて、光GENJIの後にデビューする子たちってくらいの扱いで、だからキムタクも千葉から撮影に通ってきてたっていうそんな頃でした。
中居くんは藤沢かどっかに住んでて、土日の撮影にも自宅から来てて、地元ではちょっとやさぐれてたのか、テレ東のスタジオに、当時のヤンキーっこ達の間で流行ってたらしい、ヒールのサンダルつっかけてきてたりして、私らヘアメイクやスタイリストのお姉さん達に怒られたりしてたのでございます。
「もうすぐデビューするんだから、ファンの子達も外にいるんだし、服装に気をつけなきゃだめ!」
ってな感じで。(笑)

この頃から中居くんはすでにSMAPのリーダーではあって、少年だけど、キムタクと共に最年長だったので、お兄さん的ポジションではありました。
なんたって最年少の慎吾ちゃんは、平日はランドセルを背負って小学校に通う6年生だったので、中居くんやキムタクになると年上過ぎてちょっと怖い存在だったみたいでした。

中居くんはリーダーとして悩んでたりもしてて、森くんはこのときすでに別格の存在だったけど、自分より年下で、同じ年のキムタクが居て、SMAPの中でも自分は人気が一番あるわけではないし、何かが突出してるわけでもないし、どうしてたらいいんだろう?みたいに考えてたようでした。
この番組のチーフヘアメイクが、今は亡き田中宥久子先生で、SMAPのひとりひとりがメーク室でおのおのの悩みや相談事を先生にしてたりしました。
お母さん的存在だったんですね。

で、私は同じ千葉ってことで、キムタクと仲が良くて、撮影終わったら当時住んでた千葉の団地に送ってあげたりしてたという人生最大の自慢話があるのですが、中居くんは先生にキムタクのことを聞いてもらったりしてたそうです。
実はどっちもめちゃめちゃいい子で、実際は限りなく普通の男子高校生だったのです。
キムタクは画面上ではちょっとやさぐれてる感出してキャラ作ってたんだけど、リアルやさぐれな中居くんは、その逆で画面上では元気で明るいキャラ。
中居くんは、キムタクのリアルも見てるから、「木村はほんとは勉強もしてるし、レッスンとかでもすげーまじめ。俺は勉強しないし、まじめじゃない。でも木村はそういうとこ俺たちにも見せない。」と、どう今後の関係を作っていけばいいのかを真剣に悩んで、良くメーク室でそういう話しをしておりました。
当時のSMAPは、事務所で結成したメンバーでまだお互いにお互いを良く知らなかったからなんだと思います。
でも私たちは中居君もキムタクもどっちもすごくまじめで、ちゃんと考えてるとわかってたので、時間が解決していくんだろうなと。

実はSMAPのライブを見に行ったことがあるのです、鬼マネ。
馬女スーパーバイザーが急遽手に入れたチケットが2枚あるってことで、ドームに行ってるのでございます。
その後解散になったのだけど、じゃああれがラストのライブだったんだ!と後でわかったのでございます。
あぶ少が終わってからも、鬼マネは業界の仕事を続けてましたので、ばったりテレビ局でSMAPの面々に遭遇することもあったのですが、キムタクにしろ、中居君にしろ、慎吾ちゃんにしろ、あぶ少がデビュー前の番組だったってこともあって、思い入れが強かったからか、普通に話しかけられて、こっちが超有名人になってるってことでド緊張したもんでした。
あぶ少はSMAPだけじゃなくて、制作側も手探り、綱渡り状態でみんなで作った番組だったのでございまして、なので何10年も経った今でも、スタッフ同窓会をやってたりするのでございます。
鬼マネだけがパンピーになっているのですが、他のみんなは今でも現役でプロデューサーだったり、役者さんだったり、ヘアメークさんだったり、タイムキーパーだったりして、鬼マネ以上に中居くんの今を見ているのだと思います。

中居君が30年以上も経ってあの頃のままの人間だとは思わないし、報道でいろいろ言われてることも真実なのかもしれないです。
でも、そんな頃を知ってる人間としては、ずっと第一線で頑張ってきた彼らの苦境も親心状態で心配したし、ずっと応援してたし、はからずともSMAPのラストライブを見れたのは「SMAPの最初と最後を見れたんだなあ。」なんて考えたりもしておりました。
でも、こんな終わりは見たくなかったなあというのが今の思いでございます。
これはあぶ少スタッフもみんな同じ気持ちなんじゃないかと思うし、引退しかなかったのか?ってやっぱりね、思います。
テレビで中居くんをもう見れないのは、悲しいですね、やっぱり。