貝塚クラブ 鬼マネの日記

貝塚クラブは千葉市若葉区のママさんバレーのチームです。 鬼マネは貝塚クラブに入部してもう25年くらい経ちまして、いつの間にかチーム最古参になっておりました。 ブログにはバレー以外に、鬼マネの日々のことや、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。

家庭婦人連盟所属。

千葉市(1ブロック)のチームです。

ブログにはバレー以外に、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。


離婚日記 もう泣かないと決めた日

☆この日の日記は2004年9月24日に調停離婚が成立する前に書いたものです。

彼(わかりずらくてすいませんが、だんなのコトです。いつごろからか、だんなとは書けなくなりました。)が携帯のメールで離婚をしたいと言ってきたのが大晦日
元旦の夜中に帰宅した彼と、1回目の話し合いをしました。
彼が言ってる事は無茶苦茶にしか聞こえず、数時間もの話し合いの間中泣き続けてたので、思考回路も正常に動かなくなり、もうどうでもよくなって、この日は離婚に応じる返事をしてしまいました。
というのも、彼が鬼マネに離婚したいと突然言い出したのは、この時が初めてではなかったし、そもそも結婚当初から度重なる浮気発覚で、鬼マネは常に構えてたところがありました。
それに、この時の何かを決意したような彼の表情が、鬼マネには忘れられず、その後こじれにこじれても、彼の気持ちが変わることはないことは、なんとなくわかっていた気がします。

一度は離婚に応じようと思った鬼マネでしたが、その後、鬼マネ家の強力な団結力の親戚一同の猛反対で、彼には『前言撤回』を伝えました。
そして鬼マネが求めたのは、双方の両親を交えての話し合い。
離婚の理由がはっきりしなかったからでした。
と、いうのも、彼が言ってた理由は、
「鬼マネがこずかいをくれない。」「鬼マネが子供を放ってママさんバレーの試合に行った。」「鬼マネが固定資産税を滞納してた。」「鬼マネが東京に引越ししたいと言っても聞いてくれなかった。」などなど、とてもふたりの子供がいる一家の大黒柱が言う理由ではないと。
そこで全員で話し合いとなったのですが、結局理由は他にはなく、またもや長い時間ダラダラと話し合いは続き、最後は勢いで和解となったのでした。
それで周囲は一安心してたようですが、鬼マネにはわかってました。
「多分このままでは終らない。」
予感通り、2日後彼はひとりで昼間帰宅。
どうしても離婚して欲しいと、今度は泣きながら言われました。
実はこの時点で、鬼マネは彼に親密にお付き合いしている女性の存在を確認していて、この時彼からそのことを言われていたら、今こうなっていなかったと思ってます。
多分この日、彼はとても困っていて、自分でもどうしていいかわからなくなっていたのだと思います。
もしこの時、彼が鬼マネにSOSを求めてたら、それまでのように、頭のひとつでもひっぱたいて、相手の女性と話し合って別れてもらうなり、それがうまくいかなければ元ヤンキーの実力を発揮して、多少悪どい手を使うなりしてでも、何か対応策を考えたと思います。
でも彼が助けを求めたのは、鬼マネではなく、相手の女性でした。
「泣くほどツライなら本当のことを話して。」
鬼マネが泣きながらそう言っても、彼はただ離婚して欲しいと繰り返すだけ。
でも、確信したのは、この後でした。
彼は席を立って、鬼マネの方をちらっと見ながら、ほんの少し笑ったのです。
「涙は嘘だ。」
つい最近まで、鬼マネはこれは人にはうまく話せませんでした。
そこまで夫だった人に裏切られたことを、認めたくなかったからだと思います。

彼の決意がはっきりわかったのは翌日でした。
電話で、
「昨日調停に申し立てしてきたから、そのうち裁判所から呼び出されると思う。」
と言われました。
昨日泣きながら話す前に、彼は裁判所に寄ってきた事になります。
鬼マネの中で、何かが終ったのはこの瞬間でした。
実はこの時すでに鬼マネは、やるべきことを始めてました。
突然離婚を切り出され、動揺して泣いてばかりでいながら、どこかで覚悟してたのだと思います。
彼の携帯をチェックして、相手が誰だか確認し電話番号などを控えたり、持ち物を調べたり、今までの浮気の証拠になりそうなものをまとめたり、区役所に離婚届の不受理届けを出したり、おじさんに紹介してもらって、弁護士に相談してたりしてありました。
ただ、意外だったのは、浮気している彼の方が申し立てしたことでした。
調停という公の場所に出て、困るのは彼の方だと思っていたからです。
これは弁護士も首をかしげたけれど、出されたものはしょうがないです。(笑)
この後、事務局長に紹介してもらって、パートで働くことも始めてました。
ここまでが大晦日から1月20日までのお話し。
とにかく怒涛の毎日でした。

やることをやりながらも、夜になるとひとりでいろんなことを考えては、泣いてばかりでした。
涙腺のストッパーが壊れたんじゃないかと思うくらい、誰かと電話で話しては泣き、また別の人と話しては泣き、と情緒不安定だったと思います。
それでいて、普段はいつも通りの自分のままで、そのギャップに自分でも苦しんでました。
とはいえ、子供たちに泣き顔を見せるわけにはいかず、電話がかかってくると慌てて2階へ上がる、ということを繰り返していたので、みっちーはわりと早い段階で、鬼マネの様子がおかしいことに気づいてたみたいでした。
調停などの様子はまた別で詳しく書くとして、鬼マネが泣くのをやめようと決めたのは、それから数ヵ月後のみっちーの小学校の卒業式当日でした。

卒業式には、夫婦で列席している家庭がほとんどでした。
鬼マネは、鬼母とふたりで行きました。
当然、「こんなことになっていなければ、彼がとなりに居たんだろうな・・・。」と思いましたし、「何もこんな時期にこんな目に合わせなくたって・・・。」とやっぱり考えました。
昇降口で受付をすると、係りの人から2通の手紙を渡されました。
みっちーの小学校では、たまにこんなサプライズな小技を出します。
みっちーが鬼マネと鬼母に宛てて書いた手紙でした。
会場へ向かう廊下で封を切りました。
以下はみっちーが鬼マネにくれた手紙です。

かかへ

今までみっちーを育ててくれて、ありがとう。
おかげでこんなに大きくなりました。
かかにはいろいろめいわくをかけましたね。
友達のこと、お金のこと。
もうすぐみっちーは中学生になります。
今よりももっとめいわくをかけたり、苦労をかけたりすると思います。
その時はまたしかってくれたり、アドバイスをしてください。
そして今、みっちーじゃなく「かか」が苦労している時です。
みっちーが「かか」のことをたすけてあげる。
みっちーはもう何があっても大丈夫だよ。
大変なことがあっても、みっちーはきっとのりこえられると思う。
だからみっちーのことはしんぱいしないでいいよ。
みっちーね、もうかかのなみだながしてる所ね、もうみたくないの。
だからかかはもう「スパッ」ふりきってがんばろう!!
みっちーといっしょにがんばろう!

みっちーより

今でもこれ読むと泣いちゃいますが、この時鬼マネがどれだけ泣いたかは、まあ想像できるでしょう。
もう卒業式どころではなくなってしまい、となりでは鬼母がそれ以上に号泣してて、ちょっと異様な親子だったと思います。
鬼マネは、みっちーにはここまで悟られているとは思ってませんでした。
いつの間にこんなに大きくなったんだろう、と感心しながら、鬼マネがしっかりしないでどうするんだと、思い切り反省しました。
鬼マネはこの日まで、自分がなぜこんなひどい目に合いながら、どうしてしっかり立ってるんだろうと自分で自分が不思議でした。
もっとひどい目に合ってる人はたくさんいると思ってたからでもないし、かといって彼を許して諦めてたからでもなかったし。
同じ状況になったらヘロヘロになったり、おかしくなったりする人もいるはずなのに、どうして自分はどこかで冷静なんだろうと、不思議でたまりませんでした。
でも。
自分の強さがどこからきてるのかを、みっちーの手紙でわかったのです。
命に代えても守ろうと思うものがあるから、私は強くいられるんだ、ってこと。
この日、もう泣くのは止めようと決めました。