貝塚クラブ 鬼マネの日記

貝塚クラブは千葉市若葉区のママさんバレーのチームです。 鬼マネは貝塚クラブに入部してもう25年くらい経ちまして、いつの間にかチーム最古参になっておりました。 ブログにはバレー以外に、鬼マネの日々のことや、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。

家庭婦人連盟所属。

千葉市(1ブロック)のチームです。

ブログにはバレー以外に、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。


鬼マネ、武勇伝

鬼マネが若かりし頃、ヤンキーだったことは、何かの拍子でばらしてしまいました。
なので、遠慮無しでしゃべってしまいましょう。

ヤンキーだった頃、ケンカが日常茶飯事だったのは、ヤンキーやってた人なら納得でしょう。
ヤンキーは、目が合っただけで「何見てんだよ。」と食ってかからなければならないのが定めでございます。

でも今思えば、鬼マネは幼少の頃から今で言う「キレやすい子」だったかもしれません。
記憶にある一番最初のケンカは、小学校6年生の時でした。
掃除をしている時に、さぼって友達とおしゃべりしてたさゆちゃんが、床拭きしているチビスケだった鬼マネに気付かなかったのか、鬼マネの手をふんずけたのですね。
特に痛かったワケではないのですが、さぼってたヤツにやられたっつーのが我慢ならなかったのですな。
んで、チビな鬼マネと違って、クラスでも大きい方だったさゆちゃんの首に両手をかけて、のど輪状態にして、黒板に押し付けて「あやまれ。」とやって泣かせたのが最初のケンカだったと思います。

もう1こ、鮮明に覚えてるのがバスガイドの時。
同期のよしえちゃんが、やはりさぼって乗務を逃れたユカに代わって行かされた仕事で、お客さんにさんざんいじめられて泣きながら寮に帰ってきたのですね。
まあバスガイドがお客に泣かされるっつーのは、珍しい話しではありませんし、よしえちゃんは同期でも有名な『ドンくさい子』だったので、自分の乗務も毎度毎度クレームが入ってしまうような子で、それが緊急で行かされたら、察しはつきます。
おおかたろくすっぽ案内(ガイド)もできず、終始しどろもどろのオロオロ状態だったんでしょう。
でも翌日、仮病で行かなかったユカが、よしえちゃんに「ごめんね。」のひと言を言うこともなく、開き直って、「代わりに行ってもらうのなんて誰にだってあるじゃない。」とやったので、キレちゃったんですね〜。
鬼マネ、別によしえちゃんと仲が良かったわけでもないし、普段からユカを良く思ってなかったワケでもなかったんですけどね。

んで、ひと言ふた事鬼マネが何か言ったら、ユカが言い返してきたので、横にあったイスを投げちゃったです。
まあ、直接ぶつけるほどキレてたわけではないので、ケガさせたわけでもないし、いすを壊したわけでもないのですが、18歳だったとは言え、社会人のすることぢゃあございませんで、これは所長じきじきに呼び出され、こっぴどく怒られましたです。
ついでにこのユカは、翌日辞表を出して、バスガイドを辞めちまいました。
しかもこのバカ女、「鬼マネさんに辞めろと言われたので辞めさせてもらいます。」と言い残していったらしい。
確かに怒鳴った時に「お前なんて辞めちまえ!」とは言ったけど、ほんとにそれを理由に辞めるなんざ、いい度胸だっつーの。

大人になって結婚してからも何度かキレる、っつーのはやってますが、それと同じくらい我慢もしてますのでね。
でもヤンキー時代にMAXで怒る(キレる)と言うのをやったおかげで、自分の気持ちのコントロールはできるんだと思います。
鬼マネは怒ると血が青くなるタイプの人でございます。
赤くなる人は、暴発タイプなので、怒り出したら怒らせてしまわないと止まらないです。(これは鬼父がそう。止めれば止めるほど手がつけられなくなる。)
青くなるタイプの人間は、怒れば怒るほど脳が研ぎ澄まされていくので、反撃は倍返しです。
おまけにその場ではおとなしく引き下がったように見せておいて、後日改めて参上するので、こっちのタイプはヘタに怒らせないほうがよござんす。
この青くなるタイプの人間は、40年会特別会員のYちゃんが該当者です。
だから気が合うらしい。(笑)

バスガイドのユカはなんとなく忘れられないでいるのは、反撃されたままで終ったからでしょうね。
名前も全部覚えてるっつーのも何かの因縁を感じてたりします。
あー、やだやだ。