貝塚クラブ 鬼マネの日記

貝塚クラブは千葉市若葉区のママさんバレーのチームです。 鬼マネは貝塚クラブに入部してもう25年くらい経ちまして、いつの間にかチーム最古参になっておりました。 ブログにはバレー以外に、鬼マネの日々のことや、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。

家庭婦人連盟所属。

千葉市(1ブロック)のチームです。

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離婚日記 鬼マネシングルマザーへの日々 vol.4

調停終了前まで

■2004.5.16 T弁護士に婚費請求のための書類と手紙を渡す

T弁護士から自宅に婚費請求の申し立てに必要な書類が届いた。
返信用の封筒が同封されていたが、なんとなく自分で事務所まで届けたかったので、出かけていった。
T弁護士はこちらが慌てて連絡を取ろうと思っても、そう簡単には連絡が取れない人で、最初の内はイライラしたりもしたけれど、事務所の人に言付けたり、FAXを送ったりしておけば、急を要する問題かそうでないかはT弁護士からの連絡の早さで判断できるようになった。
この時も、調停で会ってから少し時間が経っていたので、手紙を添えておいた。
以下はその手紙の一部。

T先生へ

婚姻費用請求の件で、お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします。

前回の調停から今日までの経過や私の近況について、書かせて頂きたいと思います。
先日知人を介して、私とほとんど同じ状況で、調停後、別居生活を選択された方とお会いしました。
その方の調停や審判の経過の様子や、審判を不服として即時抗告し、最高裁での判決をもらっての今の生活を獲得するまでの道のりを聞かせて頂きました。
先生が最初の頃に私にお話し下さった様に、相当の精神力が必要だという意味が、その方のお話しを聞いて良くわかりました。
やはり私には、夫婦のまま別居生活を続けていくのは難しいと思います。
今まで曖昧な態度をお見せしていたと思いますが、気持ちは固まりましたので、離婚ということで、よろしくお願いいたします。

近況ですが、やはり調停後1度も夫からの連絡はありません。
実印と通帳を渡すように言われた後も、取りに来る事もありませんでした。
考えたのですが、調停で直接顔を合わせても、夫は私に対して意固地になるばかりで、今後の事についての話し合いが進みそうにないので、次回は私は行かないでおくことにしたいのですが。
夫の性格からして、先生のような立場の方が話す方が、いいと思います。

(途中省略)

長々と素人考えで書かせて頂きまして、申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いいたします。

これは私の雑談ですが、夫は今は無責任な事を並べていますが、私にはどうしても何か理由があると思えてなりません。
約13年、妻として夫の人となりを見てきたことを思い出してみて、そう感じております。
子供たちに対して、全く責任を果たさないような人とはどうしても思えないのです。
時間はかかっても、納得できる条件で決れば、支払い等からも逃げるようなこともしない人だと思います。
離婚成立までは私ともいがみ合う事もあると思いますが、感情的にならなければ、話し合いにも応じる人ですので、今後の交渉は先生に間に入ってもらう形の方がいいと思います。
甘いと自分でも思っていますが、一度は一生を共にしようと決めた人ですし、子供たちにとっては、大好きなお父さんのままでいさせてやりたいので、憎んだり、縁を切って会わせないようなことにはしたくないのです。
根は優しい人なので、冷静に話し合いもできる人のはずなのですが、なぜこんなことになったのか。
誤解のないように付け加えますが、私の気持ちはもう変わりません。
終ったからこそ、夫とのことをきちんと決着したいと思ってます。

以上です。

こんな手紙を書いてたことが鬼父や鬼母に知られてたら、それこそ「お前は甘すぎる!」と激怒されるところだったでしょうけれど、T弁護士には自分の本当の気持ちを伝えておきたいと思ったんですね。
T弁護士がこれを読んで、どう思ったのかははっきり聞きませんでしたし、この手紙のせいで戦意喪失させてしまったかもしれません。
この時は、状況的に彼の不貞の証拠を掴んだり、婚費請求の申し立ての準備をしてたりと、鬼マネの方がこの後圧倒的に有利に動いていくだろうと思ってたこともあって、余裕があったから書けたとも言えます。(笑)

ただ、この頃自分でこんな風に思ってたということは、離婚成立の頃にはすっかり忘れてましたし、離婚後も彼への気持ちは180度違ってました。
それだけ調停中はお互いに自分を見失ってしまうということだろうし、信じる気持ちも無くしてしまうということです。
自分でもそのとき、そのときの気持ちを忘れないようにと、書いた手紙などは全部保存してあったのですが、読み返してみてすっかり忘れてたことを少し驚いてしまってます。

■2004.6.4 調停(4回目) 婚姻費用分担調停成立

昨日からずっと胃が痛くて、今日は朝から胃痛と動悸のダブルになって、家裁へ向かうのに運転してたら、貧血気味になった。
我ながらヤワだなあと思いつつ、それだけ調停はストレスになってきてるんだなあと実感。
先の見えない不安を抱えた生活は、もうかなりしんどい。

夕方になって、やっと弁護士さんと連絡が取れて、今回の調停は彼と同席はしないでおこうと決った。
私は勘違いしてて、彼に会いたくないから、家裁へも行かないつもりだったのに、別々に話せばいいことなので、そうはいかない事になった。
自分が行くことに決った途端、胃が痛くなり始めて、眠りも浅かった。
それでも家裁について、部屋に入ると気がそれたのかキリキリしてた胃の痛みも忘れてた。
今までの3回は、つとめて冷静に話したり、怒ったり、泣いたりしてたけど、だいぶ慣れたのか、今回はかなり地を出してしまった。

最初に前回のおさらいを話してから、私から申し立てしてた婚費請求の話しになった。
別居中の生活費の金額と、家のローンを彼が払うことが決った。
生活費は審判しても今までどおりの金額よりも下がることはあっても上がることはないとのこと。
もらってる金額では生活できないと訴えたところで、裁判所のマニュアルでは認められないらしい。
どちらの生活も保証するというのが基本的な考え方なので、収入でポンポンと弾き出されてしまうのだそうだ。
現実は厳しいと思ったけれど、これより減るのは困るので、もめたくなかった。
メインは離婚調停なので、調停員も婚費請求の方を今日中にまとめたかったらしく、あっという間に片付いて、裁判官登場。
テレビで見るのとは調停員から弁護士から違うもんだと思ってたけど、裁判官の雰囲気は近いものがあるなと思ったりして。
なかなかの威圧感で、思わず直立不動になってしまった。(笑)
ついでに固定資産税や自動車税、彼名義の生命保険の支払いも、今後は彼が払うという事も決って、私は願ったり叶ったりってことになった。
この時彼にも顔を合わせてたんだけど、最初は私からの婚費請求の申し立てのことで、むかついた顔してたのに、金額について私がごねなかったのがほっとしたようで、気が抜けてたらしい。(笑)
金額が決ってから、私が実は仕事しているというのを調停員が彼に話したんだけど、タイミング的に図ってたわけじゃないのに、結果的にはザマミロってことになった。
それより前に話してたら、もっと生活費を削ってきてたんだろうし。

でもこれで当面の生活は確保されたので、ひと安心。
これで彼は勝手に家を売ることもできなくなったし、生活費を減額することもできなくなったんだそうだ。
毎月彼がちゃんと振り込んでくるかが心配で、眠れなくなることもなくなったと思うと、ほんとにほっとした。
ここからはどんなに長引いても私は困らない。

調停が終って部屋を出ようとしたら、彼に普通に話しかけられた。
「ねえ、○○(娘のこと)はいつ部活休みかわかる?」
私も普通に返事をした。
「予定は週の始めにもらってるみたいだけど、急に変更になったりして、ほとんど休みないみたいでね。」
「そっか。夏の服も取りに行きたいんだけど、まあ、それはまた考えるか・・・。」
このやり取りを調停員の前でやったんだけど、横目で見てて、ちょっと笑った。
前回あれだけケンカ越しだった私たちだから無理もない。
実際私だって彼の普通の態度にちょっと驚いてたし。
でもその一方で、彼さえ変な揉め方しないでくれていれば、私たちはこんな風に冷静に話し合いできたのに・・・と思った。
弁護士さんもそれは言っていた。
「あなたは話せばわかる人だって、彼はわかってるでしょうにね。」
だから私も彼が何をしたいのかがよくわからない。
私と別れて彼女と再婚したいのか、離婚して自分だけ自由になりたいのか。
そのどっちなのかが弁護士さんもわからないと言っていた。

■2004.6.22 騒動勃発後、初めての(鬼マネの)両親との対面

家のローンのことで電話があった。
金利だののことで、前から考えてることがあるなとは思ってたけど、毎度のことながら、突然思いついたように行動を開始して、何が何でもと無理強いするところはまったくもって変わってない。
昨日の夕方電話がきて、家の権利書だの実印だの、ほとんど全ての書類やら印鑑を渡して欲しいと言われた。
そして毎度お馴染みの押し問答。
自分の都合を中心にしてものを考えるワガママさは、今の私には通用しないだろうとは考えないのが不思議でしょうがない。
結局また私が折れた。
恐ろしく気が長い彼の、のらりくらりとした時間に付き合ってられない。
夜私の実家で必要だというものを全部渡すことになった。
なんでせっせと動かないといけないんだ?と考えなくはないけれど、言い出したら聞かない性格をわかってるだけにしょうがないと思ってしまう。
これだから「こんな状況なのに甘いっ!」と言われてしまうんだろうな・・・。

私の両親は、この騒動が始まってすぐにお互いの親を呼んで話し合って以来ぶりで彼と会うことになった。
ふたりは印鑑とか権利書とかを渡すことに大反対だったけれど、念書をもらうということで、しぶしぶOKしてた。
それでも黙って「はいよ。」と渡すことはないだろうと思ってたら、案の定だった。
そのくらい耐えてくれよ、と思ってたのに、彼は父や母を逆なでするような態度で、横で聞いててひやひやした。
彼の態度に我慢できなくなった母が文句を言い始めて、彼はまたもや「聞いててもしょうがない。ヒステリーはやだやだ。」な態度で席を立って、それを私が追う形になった。
玄関を出たところで、ふたりで話した。
「あんな言い方させるなよ。」
責められて、その怒りの矛先を八つ当たりのように私に向けてる。
だったら逃げ出さずに自分は間違ってないと言えば良かったのに。
「あのくらい我慢して聞いてればいいのに。」
追った私を彼はまた誤解しているんだろうなと思う。
こいつはオレを好きで好きでしょうがないんだって。
私からのプレゼントだと言って、写真を1枚渡した。
最初に彼女のマンションの前で張り込んだ時に撮った、私たちの車の写真。
「ああ、これね。」
やっぱりだった。
わかってたんだ、彼の今もって高圧的な態度は、浮気してたことも私のせいにしてること。
そして浮気ではなく、ただの友達だと言い張るつもりだってこと。
だから離婚は女がいるからではなく、何もかも私のせいで起きたことの延長線上にあるって言いたいってコト。
「過去のことを言われても困るんだよ、もう別れてるんだし。それに相談してたのであって・・・。」
「もうやめなよ、過去じゃないし、相談してただけじゃないでしょう?」
「それは調停員にも話してるじゃないか、正直に。昔付き合ってたけど今はそういう関係じゃないって。」
「だからそれがだめなんだよ、結婚してる間に不倫してたって、自分で認めてるじゃない。」
「でも終ってる。」
「自分が言ってることが通らないって、調べてみたら?余計なことばかり調べてないで。」
「オレは争う気はないのに、そっちが・・・。」
「あのね、これは争いなの。勝つか負けるかなの。それを始めたのはそっちなの。」
「そんなつもりじゃなかった。勝ち負けを言いたかったんじゃない。」
「違うよ、勝つか負けるかだよ。そしてあなたは負けるの。」
いつまで私がダメ女房だったと言い続けるつもりなんだろう。
自分はちゃんとしてて、非はなかったと言い続けるつもりなんだろう。
もう直接こんな風に話すことは二度とないなと思った。
途中で父がキレて玄関から飛び出してきそうになったので、彼はまたみっともなく逃げていった。
聞いたら、何度か電話でやり取りしている時に、父はすでに彼に怒鳴りつけてたらしい。
それでビビってたのかと、笑ってしまった。

結婚する前に成田山のよく当たると有名な占い師に、私たちのことをみてもらった。
両親とおじさん夫婦が別のことで聞きに行って、そのついでにみてもらったので、私は直接聞いてない。
私たちは水と油で、だから混ざることがないと、その人は言ってたと両親からは聞いていた。
でも実際は、その先にもうひと言あって、「だから絶対に離婚する。離婚せずに踏ん張っても、離婚してるのと同じような結婚生活になる。だからやめたほうがいい。」だったのだそうだ。
今更言うなよ・・・トホホじゃん、と思ったけど、もう遅いのでしょうがない。
でもやっぱり運命には逆らえないんだなと思った。

■2004.6.28 区役所でのやり取り

区役所に児童手当の手続きに行った。
千葉市では就学前の子供に対して、ひとり月5000円の児童手当がもらえます。)
振込先の口座を変更してもらおうとしたら、窓口の女に待ったをかけられた。
彼名義の銀行口座を私名義の口座に変えようとしてだ。
理由を聞かれたので、別居中だからだと言ったら、
「離婚を前提に別居中ってことですか?その場合、お父さんにこの書類にご記入いただかないといけなくて・・・」
後ろに小鬼がいることをわかっていながらの大声に、鳥肌がたつほど頭にきた。
説明はくどくどと4~5分続けてた上の、最後のひと言だった。
生計が分担されていて、子供の面倒をお父さんがみていない状態ならどーのこーのと、大声で言われた。
事務的に話す窓口は仮にも『福祉課』だ。
私のような状況やもっとひどい状況でここにくる人はたくさんいるはずだ。
雰囲気で察することくらいワケないはずだと思う。
私の背中側のソファに座っている小鬼をさえぎるようにしてひと言言って席を立った。
「離婚、離婚ってそんなに大きな声で言わなくてもいいでしょう。」
私のひと言に、窓口の女は「あ。」という顔をしたけれど、そのまま黙って帰った。
駐車場へ向かう途中、小鬼に言われた。
「お金ってそんなに大事?もらわなくてもいいじゃん。」
難しい単語で話していても、小鬼にはすっかり理解できてしまった。
何もかもだめかもしれないと思った。
もう怒る気力もあまり残っていないらしい。

■2004.7.17 調停(5回目)

午後から調停で、その前に試合があった。
貝塚のみんなには自分の今の状況を全く話していないので、内緒で願をかけた。
「試合に勝てれば、今日の調停もうまくいく。」
あまり良くない内容で試合は負けた。
おかげでひどく動揺してしまい、会場からダッシュで帰ってしまった。
何も知らない人たちの前で、意味不明の泣き顔を見せるわけにはいかなかった。
すごい勢いで車に乗って、大泣きした。
恐かった。何もかもおしまいだとまで思った。
事務局長たちから電話がかかってきてたけど、一切出なかった。

調停自体は思ってた通り、ほとんど進展なし。
今回で不成立、ってことになりかけた。
アホな調停員はやはりどこか彼寄りで、
「彼の今の生活からして気の毒なくらいギリギリだ。」だの、「ご主人の職種の場合、女性関係は普通とは違うようで・・・。」みたいな発言があって、思わず言い返した。
「私もこんなことになってからもう半年経って、生活は苦しいし、精神的にボロボロですよ。」
「私もかつて同じ職種だったけど、私が仕事が遅くなったからと、男性の家に泊まったら、彼は怒りませんかね?」
調停員の隣に座っている記録する人は女性なので、私がピンチになると、いつも助けてくれる。
「奥様の方は、最初の調停からここまでくるのにかなり譲っていらっしゃいますし、そういう気持ちが強いんじゃありませんか?」
私自身「ああ、そうだっけ?」と思ったけれど、調停の席で、私がはっきり離婚の意思を伝えたのは、今回が初めてってことだったらしい。
最初は絶対に離婚しないと言ってたので、今回初めて条件次第で離婚するとはっきり言ったので、調停自体は大きく動いたことになったらしい。

でも金額の提示の段階で、またもや同席することになり、アホな調停員のせいで、またもや衝突することになった。
私は同席は拒否したのだ。
今回の離婚の意思とはっきりした金額の提示は彼が聞くのは初めてだったから、私は今回ではなく、1度持ち帰って考えてきて欲しかった。
でもアホな調停員は、「もしかしたら今日中に終るかもしれない。」とでも思ったんだろう。
この家を建てたときに私の両親が援助した分を返して欲しいという最初の条件で、いきなりこじれた。
「だから同席はイヤだって言ったじゃないですか!」
あまりのこじれ方に、がっかりしてしまい、思わず調停員に八つ当たりするように怒鳴ってしまった。
結局それ以上の話しはできず、次回へ、ということになった。
それはいいとして、彼は先日持って行った家の権利書と銀行印を持ってこなかった。
次回の日程を決めることにワサワサしている間に、持ってきていないことを聞いたので、調停中に騒ぐこともできず、そのまま散会。
また約束を破った彼に、怒りを通り越して、溜息が出た。
家裁を出てすぐに電話を入れると、法律相談みたいなところで聞いた弁護士から、自分名義の家の権利書なんだから、私に渡す必要はないと言われたからだと言う。
その話しから、彼と調停が始まって初めてちゃんと話すことになった。
私の話しを聞いている彼の声の様子で、彼も長引いている調停に疲れ始めていることはわかった。
「私はあなたから取れるだけ取ってやろうとか、恨んでるとか、憎んでるとか、そういうことじゃない。もう離婚して新しい人生に向かうことしか考えてない。お互いにこんなことを続けてるより、早く終りにしたいとしか考えてないのに、先へ進ませないのはそっちだ。」
みたいなことを一気に話した。
そして、
「私はまずひとつなの。あなたに謝って欲しい。」
謝るつもりだったと言った。誤解していたとも言った。
相談した弁護士には、全て話して、裁判になったら十八九負けると言われたとも言った。
でも払えるお金がないといわれた。
「でもね、考えてみてよ。13年間好き放題やられて、それでもいいと我慢してたのに、離婚したいと言い出して、こんなことにしちゃったのはあなたなのよ。あのまま夫婦でいればあなたは私に何も払わなくて良かったわけ。それでも、って決心したのはそっちでしょ?それなのにお金がありませんじゃ通らないよ。」
それはわかる、でもないんだと繰り返された。
いつもそうだ。
最後の最後には私になんとかしてくれと言う。
夫婦ならそれもした。
でも夫婦じゃなくなるための話しで、どうして私に泣きつくんだ。
弁護士も呆れてウケてしまっていた。
「あなたに甘えてるのね。でも甘えられても困っちゃうわよね。」
私はしなくて良かったいろんなことをしている。
彼は私以上に何かすべきなのに、実際は何もしてない。
そしてこれからも、離婚後の生活のために、何もしようとしていない。

アホな調停員は最後につぶやくように言っていた。
「あなたたち、そうやって普通に会話してるところなんか、いくらでもやり直せるんじゃないかと思うんだけどな。」
私にはできたんだよ、それが。

■2004.7.27 調停(6回目)

次回は9月の終わりになった。
そして次回で私たちの調停は終了する。
話し合いが決裂して調停は不成立になるか、調停離婚になるか、万が一の確率しかないけれど、夫婦のままでいるか。
私に残された選択肢は3つ。
彼の条件をのんで離婚するか、このまま別居生活を続けるか、裁判にするか。
どれかを選ばなくてはならなくなった。
結局彼は、「離婚したい。でも払えるお金がない。」の一点張り。
浮気して、なのに私に不満があるからと、離婚したいと言い出して、調停まで申し立てて、でもお金がありません、で離婚できるならいいよな~と思った。
そのくらい、アホらしくて仕方がなかった。

前回提示した私からの離婚の条件は、何ひとつ聞き入れられず、1円の譲歩もなかった。
最初から彼は300万円の金額を提示してて、結局それ以上は払う気がない(正確には払えないと言っている。)というわけで、調停員も相変わらず彼寄りで、払えないと言い張る彼に対して、「それじゃああんまりだ。」的なことは言ってくれない。
なのに、私には「彼の経済状態を考えると、かわいそうだ。」とか「もっと金額を下げてあげたらどうか?」などと言う。
法律なんてこんなもんか・・・と怒る気もしなくなった。

最後にまた同席して、と言うので、嫌な顔をしたら、今回は弁護士さんが阻止してくれた。
バカちんな調停員は、前回もそれで話し合いにならなかったことを、忘れてしまったらしい。
結局。
彼は最後に「払えないのだから不成立になってもしょうがない。」と言い、おまけに「離婚しなくてもいい。」と言ったらしい。
しかも、「できれば自分の両親と同居して、仕事をしてもらいたい。」と言ったそうで、これにはさすがの調停員も呆れたみたいだし、弁護士は顔色が変わっていた。
多分私だけがやっぱりなと予測できていた発言で、それ以上話しを続ける気もなくなった。

憎んでないからやり直せるんじゃないか?と友達に言われた。
20年も経てば、何事もなかったようにできてるんじゃないかと言われた。
一瞬はそれもできるかもしれないと思った。
でも一晩経って、なんとなくだけど、わかった。
やっぱり私はもう終っている。
憎めないでいたけれど、ここにきてやっと消えて欲しいと思い始めた。
これが集大成なんだと思ったからだ。
もう解放されたい。
離婚して生活がどんなに苦しくなっても、希望があるならそっちを選ぶ。
夢を見られる生活を選ぶ。
彼との未来に夢はない。
あるのは絶望だけだ。

探りあいももう疲れた。
裏切られるのももうたくさんだ。

今日父も気持ちを話していた。
なにがなんでももう終わりにさせると、言っていた。
「あいつは最初からそういうやつだったんだ。それに気づかなかったのが悪いんだ。」
やっぱり父と私の考え方は似てるんだなと思った。
新しい生活のための計算をせっせとする父が、なんだか他人事のようにおかしかった。

忘れられない夏になるのだろうか。
この名前での最後の夏になるのだろうから。

■2004.9.16 最後の調停前にT弁護士と打ち合わせ

戦うことと、争うことは違うと思っている。
私は戦うことは絶対に諦めないし、途中で投げたりしない。
ただ、争うことは嫌いだ。
特に、何のために争ってるかわからない時はなおさらだ。

子供たちのため、自分のため、私の周りの人たちのため。
そのために頑張ってきた。
最後の調停になるということで、両親にも同席してもらって、弁護士と打ち合わせをした。
私にできることはもう少ない。
それでも最後になるからと、相手の女性に対してと、彼に対して、私の気持ちが済むかどうかを確認された。
相手の女性を訴えること。
彼の方が悪いと、公の場ではっきりさせること。
この2つをどうするかを確認された。
相手の女性を訴えるには、私はあまりにも今まで何もしなさ過ぎたらしい。
黙認ともとれる数年間の私の沈黙は、相手の女性にとっては好都合だったと言われた。
許していたわけじゃない。
信じてただけだ。
彼が他の女性と浮気を繰り返していても、死ぬまで続けることはないだろうと。
今になってはお笑い種だけれど、家庭と遊びは混同させないだろうと、それだけは信じていた。
此処があるから、其処に行ける。
そんな風に考えてたんだと思う。
弁護士は、本当なら私から離婚したいと言えるだけの材料がこれだけ揃っているのに納得いかないと言う私の気持ちもわかるから、そっちを通すこともできると言った。
でももうこれ以上条件的に不利になる可能性はあっても、有利になる可能性のほうが少ないなら、私の気持ちなんていくらでも我慢できるからどうでもいいと言った。
相手の女性に対しても、お咎めなしということになる。
悔しいけれど、ほんとはもの凄く悔しいけれど。
これを考え始めると止まらなくなるのでしないでおく。(笑)

子供に対して。
結婚というものに対して。
彼に責任を訴えたところで、その感覚がないのだから、馬の耳に念仏だと思う。
これは彼の私に対しての復讐で、彼は一旦は高笑いして終われなければ、私への攻撃は終らないだろうと思う。
結婚して3年目に、私から切り出した離婚。
思えば、あれ以来ずっと彼は、機会を狙ってたような気がする。
そして私はあれ以来ずっと、いつかこの日がくるんじゃないかと薄い氷の上を歩いてきた気がする。

別居を選択できないのは、それ以上に薄くなるであろう氷の上を歩き続ける気力が、私にはもうないからだと思う。
彼は私にとって有利な立場に居続ける限り、攻撃はやめないと思う。
別居をすると決めたら、彼は負けるとわかっていても、裁判に持って行くだろうし、争うことに対してムダだとは考えないと思う。
私がざまあみろ状態になるのだけは、許さないと思う。

彼がそこまでして手に入れる未来に、神様はどういう運命を用意してるのだろう。
でも私には明るい未来を用意してくれていると信じてる。

離婚日記 鬼マネシングルマザーへの日々 vol.5へ続く