貝塚クラブ 鬼マネの日記

貝塚クラブは千葉市若葉区のママさんバレーのチームです。 鬼マネは貝塚クラブに入部してもう25年くらい経ちまして、いつの間にかチーム最古参になっておりました。 ブログにはバレー以外に、鬼マネの日々のことや、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。

家庭婦人連盟所属。

千葉市(1ブロック)のチームです。

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犯行は身勝手であり・・・

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怖いねーで済ませてもいいんだろうけど。
殺人未遂になればこうして報道もされるけど、そこまでじゃない事件も世の中にはわんさかあるんだと思われ。
この犯人の言ってる事に心の底から腹が立って、頭から離れなくなったので、ここで吐き出してみる。

「悩むことが限界になってやけになって人を刺してしまった」

ニュースとかで、裁判で裁判長が判決の際に「犯行は身勝手であり~」っていうのを良く聞くけど、その意味をあんまり深く考えたことなかったし、そうやって言うのがお約束なんだなと思ってたけど、この犯人に頭にきて思ったのは、「なんて自分勝手=身勝手なんだ!」ってことだったので、それで、「ああ、こういうことだったのか。」と理解できた。
悩んで限界だからって人刺すなよ。
刺した後死のうと思ってたとか言ってるらしいけど、だったら人刺すなよ。

通り魔的犯罪がどんだけ被害者に大きな傷残すかって、そもそもそんなこと考えられない脳だからやらかしたんであって、だから尚更頭にくるわけで。
人から危害を加えられるって、その時の痛さももちろんだけど、その後の心の傷が半端ないと思う。
特に悪意(殺意も含めて)って、ものすごいパワーあるから、言葉だけでさえ、相当のダメージなのに。

だって、この被害者の人たち、なんも悪くないんだよ?
ただ道歩いてただけ。
この後、普通に道歩くの怖くなるんだよ?
すれ違う人がふーっと自分に寄ってくるだけで、怖くてしょうがなくなるかもしれないんだよ?
犯人の顔とか見ちゃってたら、その目は忘れられないと思う。
包丁が迫ってくる瞬間をこの後何度も何度もリフレインさせると思う。

それだけじゃない。
この被害者の家族たちにも大きな傷残したと思う。
例えば。
警察から電話で知らせて来たとき、その瞬間に見たテレビの画面とか、見るって意識しないで目に入った景色が、脳に焼きつくんだよ。
子供が被害者になってるけど、その親たちはずーっと心配で不安なんだよ。
傷が治っても、心に何か大きな傷残したんじゃないだろうか?って。
激しい後悔もすると思う。
「あの時間に外に出なければ。」「あの道を通らなければ。」「なんで自分じゃなかったんだろう。」
その場に居なかった親にしても、守れなかったことを悔やむんだよ。
この後、外に出すことが怖いと思う。
ずっとくっついて居ようと考えると思う。
そして無事に帰ってくるまで、気が気じゃなくなると思う。

周りは言ってくれると思う。避けられなかったんだとか、運が悪かっただけだとか。
でも繰り返し思うんだと思う。
「じゃあなんで私たちだけがこんな目にあったの?」って。
犯罪って、その時だけじゃなくて、その人だけじゃなくて、たくさんの人の人生も一瞬で変えてしまう。
例えば。
事件を思い出すからと引っ越すとか、被害にあった兄弟を守ろうと、警察官を目指そうとするとか、家に暗い影を落として親が離婚してしまうとか。
もちろん悪いほうにばかりじゃなくて、立ち向かって克服できる被害者もいるだろうし、かえって家族が強く結ばれるようになれたってこともある。

でもどちらにしても、犯人が身勝手な考えで犯行に及ばなければありもしなかったこと。
被害者には、事件の大きい小さいは関係ないってこと。
もっと言えば、新聞やニュースになるような大きな事件なら犯人も捕まるだろうけど、そうじゃないと犯人は捕まらなくて、ずーっとおびえてなきゃいけなかったりするんだよ。
それでも犯罪は止められない。
身勝手な考え方するやつも減らない。
むしろこれからどんどん増えていくと思う。
それでもどうすることもできなくて、自分で守るしかないって結論にたどり着くのを繰り返してると、こういうこと言っちゃう犯人が、ほんとに許せない気持ちで満タンになる。