貝塚クラブ 鬼マネの日記

貝塚クラブは千葉市若葉区のママさんバレーのチームです。 鬼マネは貝塚クラブに入部してもう25年くらい経ちまして、いつの間にかチーム最古参になっておりました。 ブログにはバレー以外に、鬼マネの日々のことや、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。

家庭婦人連盟所属。

千葉市(1ブロック)のチームです。

ブログにはバレー以外に、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。


佐々木について

鬼マネはバレーボーラーでも、やる方は好きですが、見るほうはイマイチ。
(これは馬女キャプテンや、貝塚の他の部員も同じ。貝塚で色んなバレーに詳しいのは、Aさんとあべあべくらいだと思う。馬女キャプテンなんざ、「人がやってるの見たって面白くないじゃん、と平気で言うし、大会の時も次に当たるチームの試合すら見なくて、よくママに怒られておりました。)
なので、Vリーグに関してとなると、まったくと言っていいほど興味なし。
かろうじて全日本の試合だけは燃えて見ますし、代表選手の名前くらいは覚えます。


そんな状態でも興味を持った選手については、やっぱり色々知りたいっつーことで、佐々木についてちと調べてみました。
と、言うのも佐々木は移籍でトラブってVリーグの試合に出場できなかった過去があって、その間鬼マネはVリーグに興味がなかったせいで、何が起きてたのか全く知らず、好きな佐々木が見れなくても、「バレー選手って寿命が短いからな。」と、特に疑問に思ってなかったのでありました。
んで、たまたまネットで佐々木は移籍問題で試合に出られない、っつーのを発見し、「なんですと?」となったわけでありました。
結局時すでに遅し、そういう事情があったということを知った時には、佐々木はもう問題は解決し、全日本で大活躍しておりましたです。(去年のワールドカップのことざます。)


佐々木は東洋紡からパイオニアに移籍するときに、トラブっております。
当時、東洋紡の監督はなんと、現全日本女子の監督、柳本昌一監督でありました。


Vリーグのルールでは、「リーグ加盟チームを退部もしくは退職した選手は6ヶ月経過しないと別チームに登録できず、さらに登録受理から1年間は公式戦に出場できない」という規約があり、佐々木はこれに触れてしまったために、出場できない事態となったのですが、実はこのルールに例外があって、移籍前と移籍後の両チームから同意書があれば出場できるようになっているのですね。
でも、移籍前の東洋紡からこの同意書が得られなかったのですよ。


佐々木が東洋紡からパイオニアに移籍したのは、2001年の6月。
同意書が得られないことで、ルールでは2002年の12月までの1年半、試合には出られないってことになりそうだったわけです。
しかし、2002年2月5日付で、東洋紡が同意書を提出したため、問題は解決、佐々木は復活できたというわけです。


この時佐々木の移籍の理由が、「最も尊敬するセリンジャー監督の下でバレーをしたかった」。
出て行かれた東洋紡が同意書を提出しないってことであれば、佐々木が試合には出場できないってことはわかってやってるってことになりますから、「ま〜なんて意地悪なの!」って、ファンは単純に思っちゃいますけどね。
んで、パイオニアのセリンジャー監督も、バレーボール協会に直訴しちゃったりして、警告されちゃってますので、この時期揉めに揉めてたんだろうな〜って言うのが想像できますです。


で、その出て行かれちゃったチームの監督だった柳本監督に全日本チームへと呼ばれた佐々木は、フクザツな心境だったようで、当時のインタビューでも「気まずかった。」とわだかまりがあった事を話してます。
んで、ふたりは何度もじっくり話し合い、去年の6月の初めての海外遠征の後のパーティの席で、酔っ払った勢いで和解できたらしく、やっぱ酒の力はすげーなと思ったりして。(笑)
まあ、佐々木はどう見ても男ですから、監督と酒を酌み交わしてすっきりしちゃったというのもわかる気がしますけど。
(ちなみに馬女キャプテンも同じ匂いを漂わせております。ばらしてしまえば、過去にいろいろあって貝塚入部をずっと拒んできた馬女キャプテンが、斉藤監督に説得されてクビを縦に振った時も酒の席でして、ふたりはしこたま飲んで酔っ払ってたそうでございます。頑固なエースアタッカーをくどくのには、酒を飲ませるのが一番有効なテかもしれないって事ざます。)


さて次は吉原と大友のことでも調べるかな。