らるご村のみちさんのコメントを読んでいただければと思いますが。
ばななと親戚犬だったらるご氏の本が出版されるそうです。
これは鬼マネは考える余地もなく、即買いしますが、ワン好き、バニ好きのみならず、動物と飼い主の在り方について、絶対に何か感じることができると思いますので、ぜひ出版されたアカツキには、読んで頂きたい!と思います。
まだ読んでないくせに・・・と思うかもしれませんが、この本のベースであるらるごの病気発覚から最期の時までは、みちさんは『らるごのイタタ記録』というブログにして書き綴っておりました。
元気な頃のらるご氏を知る鬼マネは、「なんで?」という想いや、「絶対大丈夫。」という希望と共に、見守り続けたひとりでありました。
小康状態を保っていると思ってた矢先、らるご氏の永眠を知らせるメールが届き、慌ててブログを見に行きましたです。
もう涙が止まらなかったことを良く覚えております。
らるご氏とみちさんのつながり方は、ただ犬をペットとして溺愛するのではなく、家族として、仲間として、親友として大事に思う。
そんな関係だったように思います。
出会いからみちさんとらるご氏のつながり方は、鬼マネには感動であり、憧れでありました。
バニは見た目からおっとりしてほんわかして、実に優しそうなのですが、らるご氏はそれだけでない雰囲気があって、実に味のあるワンでした。
一発でファンになった鬼マネは、ばなながらるご氏と親戚犬であることを発見し、狂喜乱舞したほどでした。(笑)
今思えば、ばなながももをいとも簡単に受け入れてくれたのも、馬女キャプテンの犬嫌いを解消したのも、鬼マネ家をいつもあったかくしてくれてたのも、らるご氏にもあったDNAの成せるワザだったのでは?とも思います。
ただただみちさんとらるご氏の関係に憧れてた鬼マネでしたが、ばななが亡くなったあと、別のバニ友達だったNAOさんにメールで、「最初に鬼マネさんとばななちゃんに会ったとき、ばななちゃんが落ち着いているのに驚きました。」と言ってもらい、鬼マネとばななもちゃんといい関係でいたんだと、号泣いたしました。
実はみちさんの看病の全てをブログで読み、鬼マネもばなながもしらるご氏のように最期を迎えるようなことになったとき、みちさんのように最期まで頑張るんだと決めておりました。
らるごが亡くなった時のブログの文章は、本当に静かで、穏やかで、悲しみはもちろんあるのでしょうけれど、それと同時にできることはすべてやったんだというみちさんの気持ちが混ざっていたように思えたのでした。
らるご氏もみちさんや家族の皆さんや携わった獣医さんたちに、最期の瞬間まで懸命に看病してもらっていることをわかっていたんだと思います。
それが本当に伝わってくる文章でした。
だからばなながあんなにあっけなく逝ってしまったことで、まだどこかでばななの死を受け入れられてないところがあります。
冷たくなったばななに向かって、出てくる言葉は「なんで?なんで?」だけでした。
その答えが、みちさんの本の中にあるんじゃないだろうか?とも思います。
みちさんはバニ仲間でオフ会した時のバニ5頭が並んだ写真を本で使ったと言っておりますです。
らるご氏の闘病記録は形にして残すべきものだと鬼マネも思っておりましたが、思いがけずばななもその1ページにおすそわけ状態で残れるようになったのは、ほんとに涙がちょちょぎれるほど嬉しいです。
ヤバイバー、マジ泣き出してしまった・・・。ははは。(汗)
今日、来月納骨するペット霊園に、法要の日程のことで電話をしました。
ばななはひらがなであることと、1歳伝え間違えているというばななの年齢を訂正しました。
小鬼は、先日ばななが亡くなったことを知らなかった鬼おばさんが、「お母さん、泣いてない?」と聞いたらこう言ってたそうです。
「オレタチが見てるところではもう泣いてない。でも死んだ時はすごく泣いてた。今も時々泣いてるんぢゃねーの?」
あっさりしてるようで子供達は毎日かかさずばななにお線香をあげ、小鬼は朝起きぬけにばななの前にあげてある水を取り替えてます。
悲しいのも寂しいのも、鬼マネだけではないです。
霊園に納骨するばななの四十九日の日は、小鬼は鬼母たちと長崎に行くことになっていたので、いない間にお墓に持って行っちゃうけどいいか?と聞いてみたら、
「かあちゃんは最後にちゃんと泣いた方がいいぞ。誰もいないところで大泣きしろよ。」
と。
まったく、小鬼には驚かされるコト、多いです。
でもお言葉に甘えて、最後は大泣きさせてもらおうかな?と思います。
みちさんの本は『最後の誕生日』(新風舎/\1,500[税別])。
7月中にはamazonでも購入できるようになるそうです。
発売の詳しい情報は、その都度ここでもお知らせしたいと思います。