貝塚クラブ 鬼マネの日記

貝塚クラブは千葉市若葉区のママさんバレーのチームです。 鬼マネは貝塚クラブに入部してもう25年くらい経ちまして、いつの間にかチーム最古参になっておりました。 ブログにはバレー以外に、鬼マネの日々のことや、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。

家庭婦人連盟所属。

千葉市(1ブロック)のチームです。

ブログにはバレー以外に、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。


ランク別終了っ!

f:id:onimane:20130210114658j:plain←いい感じ~な貝塚クラブ

ランク別大会終わりました。
貝塚クラブは、Bランクに出ましたが、決勝でM・イーストにストレートで負け、2位に終わりました。
でもまあ、終わりよければすべて良し。
平成24年度の公式戦は、すべて終わりまして、ほっとしましたです。

 

1回戦は、同じ学区の北貝塚と当たりました。
スタートは、貝塚がニガテとする、1試合目だったこともあるし、なんか力が入り過ぎてたところもあって、6点差か7点差か、とにかくすごく離されちゃったのですが、タイムでママに一喝されて目が覚めました。(苦笑)
1セット目の中でなんとか逆転、そのまま一気にストレートで勝ちぬけましたです。

 

2回戦目は、前回ののぎく杯で対戦したばかりの大宮クラブ。
こちらもスタートはイマイチでしたが、午後からかけつけたさっちーがまたもや爆裂レシーブを展開したり、おだおだがミラクルレシーブをぶちかましたりして、エンジン全開になれましたです。
この対戦も貝塚にしては珍しく、ストレートで勝ちぬけ。
後は、決勝に上がってくるチームはどこか?と待つばかりになりましたです。

 

貝塚としては、なんとしてもM・イーストに上がってきて欲しかったんですね。
というのも、M・イーストにはママの娘のゆーこちゃんがおりますです。
ママに親子対決させたかったので、がっつり観戦させてもらっておりました。
ところが。
くさのフレンズ戦で、M・イーストが大苦戦。
フルセットになっちゃっておりました。
でもまあ、もともとは貝塚と同じくAランクに居たチーム、危なげながら決勝にコマを進めてくれまして、親子対決が実現しましたです。

 

結果は負けちゃいましたけど、M・イーストらしいネバネバなレシーブで、ラリーが何度もあって、息できなくて死にそうにさせてもらったり、打ちあいになったり、盛りだくさんな試合でございましたので、負けて悔いなしでございました。
(なんてことを言おうものなら、ママと馬女監督にとび蹴りされそうですが。)

 

今回貝塚は相変わらずの綱渡りで、満身創痍状態。
よっしーはぎっくり腰から復活したばかりで、まだ本調子じゃないし、おやつは打ち過ぎるとすぐ足つっちゃうし、柳は前回の試合で足痛めてたし、ちびっこも先週の練習試合の時にやっぱり足痛めてるし。
誰が戦線離脱してもおかしくない状態で、その上鬼マネも前日のつばきジュニアの練習で、古傷の左ひざが恐ろしい状態になっておりました。
でも、隠しましたです。
なぜなら。
そういうこと、朝言っちゃったりすると、ママが気を使って変えようとするからですね。
変えられるのは嫌だったし、そんな誰が急に故障してもおかしくない状況だったので、鬼マネは温存というか、交代の可能性のあるリストに入れとかなくていいことにしときたかったのです。
普段ならそんなこと思わないですけどね、この日は別でした。
できるだけ長く、コートに入っていたかった。
みんなにはメールで伝えてありましたけど、この日がママのファイナルだったからでございます。

 

ママとは去年、馬女監督が監督になる時に、隠密会談して今年1年で貝塚の監督業から引退するというのを決めておりました。
今まで何度か監督を降りたいという希望は言われていたのですが、拝み倒して続けてもらってきてたんですね。
去年の段階で、ママの決心は固いことはわかりまして、代替え案として副監督になることで、1年だけの期限付きで続投を引き受けてもらったんです。
みんなはまた拝み倒せば・・・と思ってたのかもしれませんが、ママが決めたらテコでも動かないことを一番よく知ってるのは鬼マネでございます。
この日もみんなは半信半疑だったのかもしれませんが、鬼マネにはわかっておりました。
『ママはやっぱり今日で去る気だ。』
ということを。

 

タイムの時に、ママは言ってたんです。
「あんたたちはいいプレーができるのよ、ほんとにこんなにいいプレーができる人たちなんだから、もっと頑張りなさい。」
この言い方はママは今までしたことがありません。
それで鬼マネもわかりました。
で、泣きそうになってました。

 

鬼マネはこの日、試合中にベンチを見る回数がいつもより多かった気がします。
「こうやっていつも見てたなあ。」
そう思ったら、試合中だってのに涙が出てきました。
不安な時、迷った時、いつも鬼マネはベンチのママを見ました。
うなづいてたり、首振ってたり。
それで確認したり、慌てたり。
それがもうできないんだなあと思ったら、悲しかったです。

 

ママが言う通り、貝塚のみんなはほんとにいいプレーをしてました。
3試合目だったかな。
ラリーか何かでバッタバタしてる時に、よっしーが、

「レフト、持ってこいっ!!」

って、叫んだんですね。
後でみんなに聞いたら、それを聞いてたのは鬼マネとあとひとりかふたりだったらしいんですけど。
それ聞いて、「よっしー、かっちょいいな~。」って、そんなギリギリの状態だったのに、鬼マネはなんかそう思っちゃって、感動して泣きそうになっちゃったんですね。
で、もう大丈夫だなと思った。
馬女監督が抜けた後、みんなが苦しんでたと思うんです。
総会でもみんなに話したけど、今年は貝塚は『変化の年』だったと思ってるんですね。
みんなが、今までとは違うんだってことを、探ったり見つけたり、そしてそこから進んだりしようとしてた1年だったと。
でもそれも、もう大丈夫だなって、よっしーのあの声聞いて、そう思ったんです。
これで、ママを送り出せるんだなって。
すごく悲しくて、さみしくてしょうがなかったんですけど、鬼マネも、変わっていくことを、受け入れないといけないんだよなって。
負けて悔いなしって思ったのは、そういうこと考えてたからでございます。


試合が終わった瞬間、久しぶりに泣けました。
悔しいとかそういう声も聞こえましたが、鬼マネは何を考えてたんでしょうかね、自分でも良くわからなかったです。
さみしかったんじゃないですかね。もう、それだけだったかもしれないです。

 

ママに何かを言いたいのに、言葉がね、見つからないんです。
で、抱きついて、結局言えたのは、
「勝ちたかったです。」
それだけでした。
あとはもう、泣き出しちゃって、何も言えなくなっちゃいました。

 

ママは貝塚クラブができて、ほぼスタートからの部員です。
審判員も第1期生で、とにかくママさんバレーのためにずーっと頑張ってきた人です。
今の貝塚クラブは、ママの志がそのまんま残ってて、ずっと変わらず、そして守ってきたチームです。
鬼マネにとっても、ママは大事な存在でありました。
くってかかったり、相談したり、一緒に悩んだり、そして、鬼マネを怒ってくれる数少ない人であります。
この年になると、本気で怒ってくれる人って、少なくなってきますから、ほんとに貴重な存在です。
未だにママから教わることは多いです。
ずっとそばに居てくれると思ってた人が、また去っていくことになりました。
ママは、「離れないから、だからって離れたりしないから。」そう言ってくれてるし、鬼マネだってそれは困ります。来るなと言われてもくっついていきます。
でも、やっぱりベンチに居てくれるかそうじゃないかは、大きな変化です。
まだ実感はないんです。
でも、次の試合の時、そこにママが居ないということが、今以上にさみしくなるんだと思います。

 

まだちゃんとした形で伝えられてないんですけど。

 

ママ、ありがとうございました。
そして、長い間お疲れ様でした。
もっと言いたいことは山ほどありますけど。
でも今はこれだけにします。