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貝塚クラブ 鬼マネの日記

千葉市若葉区で活動するママさんバレーチーム、貝塚クラブのブログです。

家庭婦人連盟所属。

千葉市(1ブロック)のチームです。

ブログにはバレー以外に、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。


つとめて普通にしてきたけれど


あれだけの大震災。
日本だけじゃなく、世界中が愕然とするほどの大災害。
実際に地震を体験したから、初めて体験する揺れの大きさで、ただごとじゃないのはわかったし、続く余震は怖かったし、計画停電や原発のことで、これからどうなってしまうんだろう?と、底知れない不安も感じてた。


それでも。
日、一日と、日常を取り戻すことが大事だと思うから、つとめて普通にしてきた。
地震の数日後に企画されてた小鬼たちの野球チームの集まりも、自粛を言う父兄も居た中、私はやるほうに賛成した。
なんでもかんでも自粛すればいいってもんじゃないと思うし、それ以上にとにかく、被害のほとんどなかった私たちは、今できることをやるべきだと思った。


当たり前のように過ごしてる日常が、あの一瞬で壊れた。
それを目の当たりにしたからこそ、今できることに感謝しなくちゃいけないと思うようになった。
何かできることはないか?と考えなかったわけじゃない。
それでもフタをした。
とにかく、自分は今やるべきことをやろうと。
今の自分のやるべきことは、 日常を取り戻すことしかない。
一日も早く、通常営業に戻ることしかない。


ツイッターとか読んでると。
同じ考えとは言わずとも、つとめて普通のことをつぶやこうとしている人はわかるようになった。
不謹慎、不適切な発言だと、言おうと思えば言えるようなつぶやきをしている人の、裏側が透けて見える。
支援する人、批判する人、そして、避けるのではなく、誤魔化してるわけでもなく、『日常を発信する人』
その気持ちはわかる気がする。


今日。
堰きとめてたわけでもないのに、決壊しかかった自分が居た。
つばきジュニアの卒部のお別れ会があって、新任コーチとして紹介されるということで、出席した。
その席で。
監督がみんなに話し始めた。


去年の夏。
東京合宿に参加して、つばきジュニアとも対戦した岩手のチームの選手のうちの3人が、津波の被害にあって、行方不明のままだそうだ。
もちろんそのチームは、バレーができるような状況ではないし、再開できるかどうかすらも考えられない状態だ。
でも、夏といえばつい数ヶ月前だ。
その時、東京まで来て、同じコートでバレーをやってた小6の女の子だ。
言葉を失った。


私はその子達の姿は実際には見ていないけれど、元気にコートを駆け回り、ただボールを追いかけてた姿を想像した。
想像というより、かなりリアルにイメージできた。
中学に入ったら部活で頑張ろうと、夢見てたと思う。
今日つばきジュニアの6年生たちが、ひとりひとり話したように、これからの自分の将来は、夢だらけだったんだろうと思う。


うちの子供たちはこれからも自分のやりたいことができる。
3人のおかんだって、おとんだって、そう信じて疑わなかっただろう。
4月から中学の部活に入って、バレーを続ける子供の姿を、信じて疑わなかっただろう。
自分の子供の未来が消えてなくなってしまうことが、私にはどうしても想像できない。
今までなら、そんなことは想像することもしなくて良かったはずだから。
そんなことにまで感謝する日々が来るとは、夢にも思ってなかった。



次から次へと新たな問題が起きてる。
もうやめてくれとほんとに思う。
大丈夫だと繰り返すなら、私は騒ぐまいと思ってきた。
だから買いだめもしないし、ガソリンも深刻に騒がなかった。
野菜も気にしないし、水も家の水を飲んでる。
騒いだり、解説したり、批判する人の言葉や記事は聞かないし、見ないようにしてる。


神様は乗り越えられない試練は与えないと言う。
でも思う。
「これが乗り越えられない試練なのか?」と。
被災地の映像を見て、誰もが感じただろう。
「この街はほんとに元に戻せるのか?」
はじめから何もなかったような、根こそぎもぎ取られた街を見て、誰もが頭をよぎったと思う。
多かれ少なかれ、今度の災害にはみんなが傷ついた。
平常心のままで居る人なんて、日本にはひとりもいないだろう。
だから後は、前向いて行くことに専念しなくちゃいけないんだろうと思う。
頼むから、これ以上、誰かが不安になったり、諦めたりする気持ちになることが起きないでくれと思う。
テレビやブログで、有名人や著名人が、「大丈夫、日本は大丈夫。」と言う。
私はそれを聞いて、「そうか、大丈夫なんだな。」と思う。
みんなが何かやってるのを見て、「私もなんかしなくちゃな。」と思う。
前向きに進んでいく誰かにくっついて行ってる、そんな感じだ。
多分、多くの人が私と同じだろう。
だから、大丈夫だと言ってて欲しい。
だから、私でも何かできると言ってて欲しい。