貝塚クラブ 鬼マネの日記

千葉市若葉区で活動するママさんバレーチーム、貝塚クラブのブログです。

家庭婦人連盟所属。

千葉市(1ブロック)のチームです。

ブログにはバレー以外に、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。


美しすぎるバスガイド


今、ニュース見てたらやっておりました。
美しすぎるバスガイド、略して『美バス』だって。
人手不足解消のために、人材派遣会社が目をつけて、モデルや女優をバスガイドとして育成して派遣してるって。
まー、昔むかしは花形職業と言われたバスガイドですけど、鬼マネがやってたころで、すでに陰さしてましたからねえ。


ってことで、多分初公開の、バスガイドの頃の写真でございます。



向かって左から2人目が鬼マネでございます。
写真の日付が84年になってます。
26年前。
ああ、恐ろしい・・・。


鬼マネは、京成電鉄、観光バスガイド課に所属しておりました。
1年半で辞めちゃいましたので、フレッシュなまま廃業したってことです。
まあでも、入社してから、押上にあった研修所で、みっちり新人研修受けて、その後も数ヶ月に1回のペースで、コース研修がありましたし、最初の1年でそこそこいけるくらいの詰め込み教育されたはずでございます。
おかげで最初のご挨拶の口上は未だに暗記できております。
「本日、皆様の旅のお供をさせていただきます、運転手は○○、そしてワタクシ、バスガイドの鬼マネでございます。
今日一日、どうぞよろしくお願いいたしますー!」
ってやつですね。(実際はもっと長いです。コースの説明とかもしますので。)


バスガイドってのは、結構激務でございます。
鬼マネたち新人は、1年生のうちはほとんど小学校や中学校の修学旅行の仕事が多かったんですね。
あとは幼稚園。
だから、各学校へ朝8時配車とかってことだと、車庫は5時20分点呼って感じなんです。
全寮制でしたから、出勤時間は徒歩2分って感じでしたけど、化粧したりしますから、4時過ぎには起きなきゃいけないんですよ。
んで、出勤したらその日の準備して、点呼受けて出発。
朝はさわやかにお出迎えしてお客様乗せて、乗ったらすぐお仕事開始。
ずーっとしゃべり続けないといけませんです。
子供相手だと、飽きさせないように色んなもの用意していくし。
だから1年生のうちは、紙芝居とか、そのとき人気のアニソンとか、手遊びしたり、みんなでできるゲームしたり、クイズ考えたり、そりゃもう、何の仕事だ?私は!ってくらい、持ちネタありました。(爆)
こういう準備は、各自でやるんですね。
なので、日々の仕事が終わって寮に戻って、寝るまでの時間で準備するわけです。
観光案内が少ない学校系の仕事だと、持ちネタがたまってば、前の夜に準備することが少なくて済むので早寝ができるわけで、「ラッキー♪」って喜んでたかも。
なんてったって4時おきがほとんどでしたから、10時過ぎには寝てた毎日でした。


バスガイド、観光バス、といえば、はとバスを思い浮かべますやね。
バスガイド界でも、一流と言われてましたですよ。
うちの会社にも、はとバス受けて落ちたって人が、何人かおりました。
んで、バスガイドといえば、はとバスのガイドさんみたいに、ずーっと観光ガイドをしてるもんだと思われがちですが、実際はそんなことないっす。
社員旅行とかの団体さんなら、同じところに毎年行ってたりして、ガイドより詳しかったりするし。(汗)
当時は挨拶もそこそこにカラオケだったり、酒盛りが始まって、ガイドの話しなんて誰も聞いてなかったり。
観光の案内をびっちりやらなきゃいけないような仕事なんて、鬼マネなんかだと、1年半で数回あったかないかでした。
ベテランのガイドさんになってくると、募集旅行って言って、会社が企画した「秋のグルメツアー」とか「1泊2日、○○の旅」とかって募集したお客さん乗せて行くツアーの仕事とかもあったんですけどね。


観光の案内ってのは、各コース研修がありまして、それで勉強して覚えていくわけです。
このコース研修に行ってないところには、仕事をつけられることはなかったのですよ。
1年目はこの辺まで、2年目はここまで、とか。
鬼マネは千葉の会社のバスガイドでしたから、房総方面はもちろんですやね。
あとは東京見物コースとか、修学旅行に多い、日光から磐梯のコース。
富士山方面のコースもあったなー。
群馬だと伊香保とか、うーぬ、思い出せないけど、まあメジャーな関東近辺の観光地は、ひととおり研修したはずです。
コースごとに台本があるんですよ。
それをまず研修所でガイド講師の先生から教わるんですね。
それで実際にバスに乗って、台本どおりのコースを走って習うんですね。
「はい、この橋を渡ったら右手に○○が見えてきますよー!ほらっ!あれっ!!」
「えー、見逃したー!」
みたいな。(笑)
富士山みたいにひとつのでかい山ならわかりやすいですけど、八ヶ岳方面とか、日本アルプスとか、山がヤマヤマして並んでたりしてると、どれがどれだかわかりゃしません。
それに同じ方向で見るわけじゃないから、研修で習っても、実際は「あれ?わかんねー。」ってことになったりします。
その辺はスルーです。


んで、台本だけじゃ足りないし、旬な情報は書かれてなかったりするので、自分用にまとめたノートを作るんですね。
トラの巻ってやつです。
このノートに、自分で調べた情報とか、勉強した内容とか書き込んでおいて、仕事の時はこっちを使うわけです。
話し始めるタイミングとか。
ここでこの話しを始めれば、この辺まではもつ、みたいな。
なので、その辺の歴女なんかより、当時は歴史に詳しかったはずです。
もうすっかり忘れましたけど。


まあ、大変って言っても、お客さんを目的地に着いておろしてしまえば、帰るまではヒマだったりするんでね。
バスで寝てたり、乗務員用の休憩室でくつろいだり、観光地見て回ったりできたんですよ。
しかも「バスガイドは日銭稼げる」って言ってましたけど、仕事に出るとお金使わない。
お客さんからチップもらえますし、ドライブインにバス入れれば、お寸志もらえるし、ごはん出るし、おやつも出るし。
おみやげもらえたりもしたか、干物とか。(爆)
遊園地行けば、ただで入れるし、乗り本題なんですわ。
バスガイドの格好して、富士急でジェットコースターとか乗りまくって、後でものすごく怒られましたけど。
まあ、どこいってもお金使わないのに、チョコチョコもらえるんですよ。
お陰で、メークの学校行く!って決めて、1年で学費貯められましたからね。


でもゲロ吐かれたりすれば掃除しなくちゃいけないし、一番前の席に座ってた子にスカートから下にどばーっとかけられたこととかもありましたしね。
途中でトイレ行きたくなっても、我慢しちゃうから、膀胱炎とはトモダチだったし。
寮に帰れば先輩達が怖かったし、嫌な運転手もいるし、酔っ払いのお客さん相手にしていじめられたりもするし、憎たらしいチューボーとかもいるしねえ。
高校卒業したばっかりの10代の女の子がやる仕事としては、まあ激務だったんじゃないですかねえ?
決して憧れるような職業じゃないよねと、バスガイドたちは言うと思います。
人気なくなってしまったってのも、激しくうなずけます。


鬼マネが、半濁音って言うんですか?「〜が、」の「が」の発音が、やや「んが」になるのは、この頃の名残です。
当時は人前でしゃべるのも、歌うのも、全然緊張しなかったんですけど、今はだめです。
基本的にビビリーなので、素に戻ると苦手らしいです。
それが仕事ってことになれば、できちゃうんですから、職業病ってのは威力あるなーと思いますです。


この1年半の間に乗せたお客さんと、今でも年賀状だけではありますが、交流があったりしております。
松戸の常盤平幼稚園の遠足で乗せたお母さんなんですけどね。
当時園児だった息子さんはすでに結婚されて、お孫さんも生まれたそうです。
鬼マネは、一応同期の中では成績優秀だったので、副班長ってやつだったんですよ。
なんで班長なんだか良くわかりませんけど、とにかく二番目に優秀だったってことです。
辞める前にかわいがってもらったガイド講師のエトーちゃんに挨拶したら、「あんたは講師にしたかったんだけどなー。」と、残念がられました。
あのまま続けてたら、今頃はエトーちゃんの後任として、新人教育してたかもしれませんよねー。(ねーか、それは。)
講師できるようなベテランになると、どのコース行っても台本なんか見ないでもずーっと案内できてたりします。
ちなみにエトーちゃんとチャン付けで読んでたのは、鬼マネだけでした。
鬼講師だったので、同期のみんなは怖がって近寄らなかったです。(近寄れないガイドでいいのか?って感じですけど。)
母親より年上なおばさんでしたから、ちゃんはないんですけど。


鬼マネが入社した年は、40数人同期で入社したんですけど、2年目には半分になってましたけどね。
毎年そんな感じだと聞いてました。
寮には6年生くらいまで先輩がいましたけど、3年生以上になると、各学年(?)数人づつしかいなかったです。
そのくらい、続かなかったんですよ。


美バスねー。
同期に若くてきれいな子なんていたっけなー。(爆)


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