貝塚クラブ 鬼マネの日記

貝塚クラブは千葉市若葉区のママさんバレーのチームです。 鬼マネは貝塚クラブに入部してもう25年くらい経ちまして、いつの間にかチーム最古参になっておりました。 ブログにはバレー以外に、鬼マネの日々のことや、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。

家庭婦人連盟所属。

千葉市(1ブロック)のチームです。

ブログにはバレー以外に、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。


20年前の鬼マネ


調べ物してて、何気に検索してみたら、ありましたよー。
恐るべし、インターネット。
恐るべし、You Tubeでございます。
20年前の鬼マネが、存在しておりました。

*PCからしか見れません。

↑6分過ぎから鬼マネが登場します。


初期のスマップなので、森くんがメンバーに居たりします。
その他の出演者に、V6の坂本くんや、TOKIOの城島くん、国分くん、観月ありさが居たりします。


この回が最終回だったのですが、最終回ってことで、スタッフたちが次々に引っ張り出されて、鬼マネも出されちゃったんですね。
収録は、ほぼ全員撮られたのですが、オンエアーになったのは数人で、鬼マネはその中のひとり。
テロップ入りで電波に乗ってしまいました。(笑)
んで、この番組のヘア・メーク担当だったのが、今やカリスマとなった田中宥久子女史であります。
田中先生も、鬼マネの後に登場します。


20年前とはいえ、今や世界的に有名なスマップですのでね、自慢でございます。
いつ削除されちゃうかわかりませんので、見れた方はラッキー♪ってことで。
ちなみにスマップにとっては、この番組がデビュー作だったはずですが、森くん脱退のせいで、封印されていたはずでございます。
彼らも、プロフィールなどで、この番組のことに触れることはなかったりしておりました。
最近になって、タブーと言われてた森くんが居た頃のことについて、発言を許されたりし始めたようなので、それでこれもアップされてるのかな?と思ったりしてます。


キムタクが千葉出身だったことは、千葉人なら自慢にしたりしてるところでしょうけれど、こて高出身だったとか、高洲か磯辺あたりに住んでたとか、七不思議のように語られているみたいです。
この番組を撮影してた当時は、スマップはまだ合宿所には住んでおりませんで、それぞれ自宅から自分でスタジオに通っておりました。
もちろん全員学生だったので、撮影は土日と祭日のみ。
キムタクと中居くんは、当時高校生でしたが、この番組を撮ってた1年の間に、都内の学校(確か明大中野だったかと。)に転校しておりました。
なので、それまでは、こて高だったはずです。
で、自宅は高洲の団地だったと思います。
鬼マネも実家から通っておりましたので、同じ方面に帰るってことで、よくキムタクを乗せて自宅まで送って行ったものでございます。
今や雲の上の人になってしまいましたので、自慢話にもできますが、当時は毎週撮影のたびに会ってたし、そう考えると、貝塚クラブの練習と同じペースで、部員達に会う頻度と同じですので、それなりに密度の濃い近さだったってことでございますな。
貝塚の練習は2時間ですけど、撮影は土日の朝早くから夜中までかかってましたから、待ち時間や開き時間なんかは、今考えると恐ろしいですけど、スマップのメンバー全員に囲まれてたり、中居くんから悩み事相談されたり、慎吾ちゃんのコレクションだったビックリマンシールの説明聞いてあげたりしたもんです。(爆)


前にもどっかで書きましたけど、デビュー前の仕事ってことで、出てたみんなは当時のことをよく覚えてるらしく、その後それぞれがメジャーになって再会したときに、こっちは「覚えてやしねーだろう。」と声かけないでいたりしても、名前まで覚えてくれてたりしたもんです。
芸能人も一皮むけばただの人ってことですやね。


これ見たとき、自分では、
「わっかいなーっ!ぢぶん!」
と思ったのですが、みっちーたちは驚いてくれませんで、
「かわってないんだけど。」
と・・・。(汗)
他の人たちにも変わってないと言われました。
でも20年前です。
鬼マネ、20代前半です。(怒)


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