貝塚クラブ 鬼マネの日記

貝塚クラブは千葉市若葉区のママさんバレーのチームです。 鬼マネは貝塚クラブに入部してもう25年くらい経ちまして、いつの間にかチーム最古参になっておりました。 ブログにはバレー以外に、鬼マネの日々のことや、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。

家庭婦人連盟所属。

千葉市(1ブロック)のチームです。

ブログにはバレー以外に、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。


choo choo Train


昨日何気なくテレビ見てたら、『金スマ』のEXILEの特集をやってまして、早く寝ようと思ってたのに、しっかり最後まで見ちゃいました。
で、HIROが元ZOOのメンバーだったってコトで、あの名曲『choo choo Train』を久しぶりに聴いたってわけで。
みっちーたちはZOOの『choo choo Train』というより、EXILEが昔誰かが歌ってた曲をカバーしてる、って感覚の方が強いらしいのですが、鬼マネ世代は『choo choo Train』といえば女性ヴォーカルで、ZOOっていうグループが歌ってたんだっていうほうが断然強いわけですよ。
実は鬼マネ、ZOOのことも良く知っております。


ZOOは杏里と同じレコード会社(フォーライフ)所属だったってこともあって、デビュー前から知ってたのですよ。
で、メンバーのひとりが当時の杏里のバックダンサーにチョー憧れてたってことで、リハーサルスタジオにしょっちゅう遊びに来ては、彼らにダンスを教えてもらったりしてたんですね。
あのころはまだ日本ではダンサーの地位は確立されておらず、ライブでバックダンサーを従えて踊ってるアーチストってのはほとんどいなかったんですね。
ダンスできる日本人っていうのもあんまり居なかったんじゃないでしょうかね。
そんな中、ZOOのスタイルってのは異色中の異色。
「売れるわけがない。」
って、みんな思ってたんじゃないか?って記憶がございます。
でも爆発的なヒットでしたけどねー。


そのZOOのヴォーカルだったさつきちゃんは、音楽番組とかで杏里といっしょだと、よーく楽屋に遊びに来ておりまして、なぜか鬼マネとメークの聖子ちゃんはなつかれておりました。
ZOOには女性のダンサーメンバーも居たと記憶しとりますが、どうもその女の子たちとうまくいってなかったみたいで、居場所がなかったらしく。
「売れててもいろいろあるんだねー。」
と、聖子ちゃんとしみじみ話した記憶がございます。


で、その当時のHIROの記憶は、残念ながらございませんで、昨日テレビを見ながら、「あの中にこの人がいたってことかー。」なんてことを思ったりしてみておりました。
でねー。
今まであんまりEXILEって興味なかったんですが、昨日の番組見てたら思いっきり感動しちゃって、一気に好きになっちまいました。
やっぱ熱いのにはめっぽう弱い鬼マネでございます。(笑)


夢は具体的にイメージすればするほど叶うと、成功者は口をそろえて言いますです。
アスリートたちもそうですよね。
子供のころから「将来はこうなりたい!」と、驚くほど明確に夢を語ってたりします。
そしてほんとにそうなってる。
昨日もメンバーの一人がインタビューに答えて、言っておりました。
「やめようと思ったことは不思議と一度もない。必ず売れると信じてた。」
なんかねー、考えちゃったんですよ、鬼マネは彼らのように若くはないですけど。
最近、これからが漠然としてるよなー、迷ってるのとは違うけど、はっきり考えてないよなーって。
鬼マネもかつてヘア・メークの道に進もうと思ったとき、不思議と「なれないかも。」とは思わなかったんです。
絶対成功してやる、なってやると思ってたんですね。
メークの学校に通い始めて、現実は甘くないと知ったときも、「みんなはそうだろう、でも私は違う。」と信じて疑わなかったんですよ。
なんでだったんだろうと今でも不思議ではありますが。(笑)


なんか、見てて涙が止まらなかったです。
なんででしょう。
今に不満があるとか、落ちぶれたとは思ってないですよ。(笑)
それにまたメークの仕事やギョーカイの仕事がしたいとも思ってません。
ただ、なんでしょう。
まだ何かやりたいことが、あのときみたいにいきなりできるんじゃないか?って気がしてるんですね。
これは昨日急に思ったことじゃなく、自分の中のどっかに今はひっそりあるんじゃないかって感じ。
そのふたが、昨日は少し開いたみたいな、そんな感覚だったのかもしれませんです。
ただバレーに関することじゃないことだけはハッキリ言えますけど。(爆)
そこまでアフォじゃないんで。


いつまでも熱い思いだけはなくさないで生きていたい。
そんなことを昨日は強く思いましたです。