貝塚クラブ 鬼マネの日記

貝塚クラブは千葉市若葉区のママさんバレーのチームです。 鬼マネは貝塚クラブに入部してもう25年くらい経ちまして、いつの間にかチーム最古参になっておりました。 ブログにはバレー以外に、鬼マネの日々のことや、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。

家庭婦人連盟所属。

千葉市(1ブロック)のチームです。

ブログにはバレー以外に、千葉市の情報など、色んなことをツラツラ書いております。


鬼マネ家、またまた事件でした。


鬼マネの父親なので、鬼父ですが。(ちなみに母は鬼母、死んだばあさんは鬼ばばでございます。決して鬼だから鬼母とか鬼ばばではございません。)
去年の夏に、家の外側の窓拭き中に、脚立のストッパーをかけ忘れて、てっぺんから落ちて見事に着地したものの、かかとを強打して骨を粉砕し、70歳にして初骨折→手術→入院となったのはここでも書いておりました。
結局3ヶ月の長期入院となり、やーっと退院してきたと思ったら。
「しょんべんの出が悪い。」
と、検査したところ、前立腺ガンの疑いありってことで、再検査となったのがローソンカップの頃でございました。
検査結果は激しく悪く、ドクターは「ガンです。転移してます。数字がこうですから。」と。


最初の検査の数値(ASPだったかAPSだったか、なんとかいう検査)が、80%の確率でガンといわれている数値だったので、鬼マネも覚悟はしておりました。
でも再検査の結果を、鬼母、鬼おじ、鬼マネと鬼父の4人で聞きにいったら、ドクターの非情とも思える宣告。
「4人でなんて恥ずかしい。ひとりでいい。」と激しく抵抗してた鬼父も、ドクターの話しを聞きながら、さすがに動揺してたようでした。


病室を出て、鬼マネと鬼おじの意見は速攻で一致。
「転院させるか、セカンド・オピニオンか。」
でございました。
どんな結果であれ、治療は短期間の話しではなく、家族が信頼できないドクターに任せるのはどうしてもできませんです。
幸い鬼おじががんセンターに転院できるとのこと。
だったら早速と思ったら、当の本人がノー。
正月明けに、転移の箇所を調べる検査をするということが決ってたので、それが済んでからというのです。


その結果が昨日でました。
恐ろしく悪かったなんとかいう数値が30いくつから8まで下がってたこと、転移がないらしいとわかったこと、鬼父も「はあ?」という診断をされたこと、その理由で、鬼父も納得してがんセンターに転院することになりました。
ってか、もしかしてガンでもないんじゃね?というのは、鬼マネの願望を含めた疑問でございます。


正月に親戚が集まって、鬼父の兄弟たちが、
「アニキ、まだ死んでる場合じゃねーな。」
と、愛のある励まし(笑)をすると、
「おー、まだ死ねねーよ。」
と、元気に答えてたので、鬼マネは少し安心しとりました。
告知の後、さすがの鬼父も凹んだようで、
「病院なんてどこいったって同じだ。」とか「取らなくたってあと5年も生きられれば充分だよ。」などと悲観的というか投げやりというかな発言しておりましたのでね。
鬼マネが、
「あと5年じゃ小鬼はまだ中学生だぞ。みっちーもまだ結婚してねーな。」
と、脅し半分で言うと、少し顔色を変えておりましたです。


鬼父は、鬼マネが覚悟をしたくらい悪くはありませんでしたが、数値が良くなったのは奇跡ではなく、1ヶ月間の鬼父の前向きな気持ちや鬼おじたちのサポートが伝わった結果だと思いますです。
鬼父以上に心配してゲッソリしてしまった鬼母を見て、鬼父も「オレが先に逝っちゃったら・・・。」と思ってたんじゃないかと思います。
考えてみれば、鬼マネの周り、彼岸花や馬女キャプテンはすでに父上は他界しておりますので、幸せなことなんだなーと。
これからは鬼父を大事にしてあげようと思っちゃいましたです。


とはいえ。
「良かったねー。だからがんセンターにしたほうがいいよ、みんなそう言ってるし。」
と、結果を知らせてきた電話で言ったら、
「だから変えたっていってんじゃねーか、ばーか!」
と、キレられました。
意味がわかりません。
むかついたので、
「なんだと、くそじじい。」
と言ってしまいました。
大事にするという思いはどこにいっちゃったんでしょう。


でもねえ。
鬼マネが心配してるのは、鬼父にはあんまり出さないようにしてたつもりですが。
電話を切るときに初めて言われました。


「ありがとう。」


いえいえ。
娘は心配するしかできないんで・・・。