貝塚クラブのサポート陣、ワンピースKさんこと、川島氏が何者(職業という意味で)か?って、うちの部員もはっきりわかってなかったりしますが。
(って、部員同士もお互いの仕事、良く知らなかったってのが結構あるんだけど。)
鬼マネはバレー以外でも交流があるので、Facebookでもつながってて、お互いに日々のこともわかってたりするんですが。
川島さんが学生さん相手のお仕事をし始めたころ、ちょうどうちの小鬼が近い年頃だったのもあって、リアルな声を聞きたいと貸出(笑)をお願いされたりしました。
当時小鬼のコミュニケーション能力に少々不安を感じてたので、ヤツで取材になるんだろか?と大いに疑問だったのですが。
その小鬼も就活し、就職先が決まりました。
川島氏の昨日アップしたブログの記事がうちとリアルに通じたので引用させていただきまして、今日のテーマとしましたです。
うちの子ふたりは、進路は100パーセント私に相談なしで自分で決めました。
これ、当たり前だと思ってたら、どっちの担任からも珍しいんだと言われました。
みっちーは中学の時にすでに決めていて、
「高校を卒業したら美容学校に行くから、家から近く(交通費がかからない)て公立だったらどこでもいい。」
という選択肢で、若松高校に決めたと言ってました。(当時は特色化選抜という受験方法があったので、バレーで行けたんですけど。)
小鬼はやっぱり中学の時に、野球の試合で行った千葉工業高校を見て、小さいころから何かを作るということに夢を持ってたので、「この学校に来たい!」となり、まっしぐらでした。
今回の就職先も、第一希望であり、そこしかないという親としては恐ろしい選択肢で決定。(選択も何も唯一だったというわけで。)
今では良かった、良かったですけど、高校に求人が来なければ、進路ごと考え直さなくてはならないという、今になれば奇跡に近いお話しでございました。
まあそんな感じで、うちは子供たちの進路で、私が口出しするということはなかったわけです。(相談もなかったんだけど。)
ただみっちーと違って、小鬼はちょっとだけあったんですね。
高校に求人がくるかどうかが小鬼にも不安だったんでしょうし、周りに進学する友達が居て、その人たちの話しや、担任や他の大人の話しも聞いて、大学進学という選択肢が生まれたらしく、ある日「かかに話しがある。」と神妙に言われ「きたか。」と思いました。
私も周りから当然のように「大学行くんでしょ?」と言われてたからですね。
男の子ですし、今の世の中、大学進学がフツーになってたりしますのでね。
小鬼から「大学進学も選択肢に入れたい。」と言われました。
1時間くらいですかね、みっちーが嫁ぎーの後、ふたりで暮らすようになって初めて向き合って真剣な話ししたのって。
小鬼にとっては、私と正面切って本音で話したのは初めてだったと言ってましたから。
(みっちーとは何回もやってたんですけど、小鬼とはなかったというのは自分ではそうか?でした。)
私としては、いいよとは簡単には言えない経済状況ですので、今でも自分が小鬼に言ったことが小鬼の人生を変えてしまったんじゃないか?と後悔とまでは言わなくても心残りではあるのですが、将来「あの時かかが大学行かせてくれてれば。」と言われてもそれは受け止めようと思っております。
でもこの時話しあった最後に、
「でも俺はこうやってかかにうちのことやかかのことを初めてかかからちゃんと聞けて、自分の気持ちが決められたから良かった。」
と言われて、ちょっと驚いたんですね。
小鬼もいつの間にかただの子供じゃなかったんだなと。
みっちーとはやたらとコミュニケーションとってたし、だから中・高校生のいわゆる難しい年頃の時に、こっちが予想してなかったことをやらかしてくれるたびにうろたえたりもしたもんでしたけど、小鬼はなーんかずーっと子供だと思ってたと言うか。
お互いにボロボロ泣きながら話して、でもそのあと、小鬼との関係がその前とちょっとだけなんとなく変わった気がします。
春から小鬼は家を出て行くのですが、そういうのも相談なし。
まあ、私が反対するとも思ってないだろうし、反対させるつもりもなかっただろうし。
周りからはひとりになっちゃうからさみしいでしょ?と言われてますが、そうだねーとも言ってますけど、実際は子供たちが自分の人生を歩いていくために育ててきたようなもんなので、あんまりなんとも思ってないし、春から改めて自分の人生設計的なことをプランニングしないとなーくらいです。
それは私自身が、高校も卒業後も、そのあとも、ずーっと自分で決めて勝手にやってきたからだったりします。
鬼父に口出しされたことないんで。
川島さんのブログ読んで、うちはどう?と思ったので、書いてみました。